朝起きたら12月になっていたのでビックリした。同じように感じた方は多いのではないか(そんなことはないか)。
コロナに振り回された2021年も、もう少しで終わる。私も、父の一周忌だ、新刊の発売だ、毎週末のGIだ、と、慌ただしくしているうちに大晦日を迎えるのだろう。
巨人ファンの私は、宅配で「読売新聞」と「スポーツ報知」を取っている。報知には今、ソダシがチャンピオンズカップに出走することに関連した「It’s二刀流」というシリーズが掲載されている。今朝(12月1日)はイーグルカフェを取り上げており、小島太元調教師が、「岡部(幸雄)さんが本当に上手く乗ってくれた」とコメントしていた。
小島さんは1947年4月に生まれ、1966年に騎手としてデビューした。
岡部さんは1948年10月に生まれ、1967年に騎手としてデビューした。
小島さんのほうが1年先輩なのである。年齢を重ねると、相対的に年の差が小さくなるので、年下の相手にも「さん」をつけることが多くなるものだが、小島さんは、騎手時代から「岡部さん」と呼んでいた。
「おれは成績では岡部さんに追い越されたけど、負けてないところもあるよ」
サクラバクシンオーで1993年のスプリンターズステークスを制する少し前、行きつけの渋谷のバーでそう言った。小島さんは46歳だった。
毎日顔を合わせている後輩に「さん」をつけるところに、勝負師として保つ岡部さんとの距離感と、ライバルに対する敬意、プロとしての意地が感じられた。
小島さんは48歳まで、岡部さんは56歳まで騎手をつづけた。
今年のレパードステークスで、柴田善臣騎手がJRA最年長重賞勝利記録を55歳0カ月10日に更新した。
JRA最年長GI勝利記録は、岡部さんが2002年の天皇賞・秋(シンボリクリスエス)で記録した53歳11カ月27日だ。
地方では、的場文男騎手が65歳になった今も、自身の最年長勝利記録を更新しつづけている。
57歳と1カ月になった私は、脱臼した左肘の神経と右手首、そして古傷のある右膝を、日常生活を普通に送られるレベルに維持するだけでヒーヒー言っている。耳鳴りも相変わらずで(丁寧なメールで助言してくださった方、ありがとうございます)、病院で処方された漢方薬が別のところに効いているので、通院をやめてからも飲んでいる。
50代になっても体を動かすことでメシを食っているのは、本当に大変なことだと、最近、つくづく思うようになった。
先述した「さん」づけとは逆に、先輩騎手に、年の近い後輩が「ノリちゃん(横山典弘騎手)」などとニックネームで呼びかけることはあるようだ。呼ばれた側も、もちろん受け入れている。
しかし、さすがに先輩を呼び捨てにする騎手はいない。30年以上前、民放のバラエティ番組に出た騎手が、そこにいなかった先輩騎手を呼び捨てにしたら、後日、JRAから連絡があり、気をつけるよう言われたという。今はそういうこともないと思うが、ともかく、後輩に「さん」づけする騎手は、現役時代の小島太さん以外に私は知らない。
さて、ジャパンカップで有終の美を飾ったコントレイルの初年度の種付料が、父ディープインパクトの初年度と同じ1200万円になったと発表された。社台スタリオンステーションのサイトで2022年の種付料一覧のページで、コントレイルは「受付を終了いたしました」になっている。
同ステーションに繋養されている種牡馬では、1800万円のエピファネイア、1500万円のロードカナロアに次ぎ、キズナと並ぶ3位タイだ。
初年度は600万円だったオルフェーヴルは、2021年度から据え置きの350万円。マルシュロレーヌがブリーダーズカップディスタフを勝つなど、目立つところで大きな仕事をしたのでアップするかと思ったが、これはバーゲン価格と言えるのではないか。
今年はあと何回競馬場に行けるだろう。12月になったばかりなのにこんなことを言わなければならない年は、これで最後になってほしい。オミクロン株のニュースを見て、「怖い」より「疲れた」と感じたのも私だけではないはずだ。収束する日が必ず来ることを信じて、辛抱をつづけるしかない。