▲「馬最優先主義」の中で、2017年、ついにダービートレーナーに (撮影:下野雄規)
1988年の厩舎開業以降、数々の活躍馬をターフへと送り出し、1995年から2009年までの間、11度のJRA賞最多勝利調教師を獲得した藤沢和雄調教師が、2022年2月末、惜しまれつつも定年を迎えます。
netkeibaでは名伯楽の軌跡をたどる「藤沢和雄調教師 引退特集」を、一週間にわたってお届け。今回は「藤沢和雄物語」の後編として、「馬最優先主義」の中でついに手にしたクラシック制覇など、厩舎の完成期をたどります。
(文=島田明宏)
「馬最優先」で開花、ゼンノロブロイ&シンボリクリスエス
藤沢和雄のホースマンシップとして誰もが思い浮かべるのは「馬最優先」という姿勢である。レースに合わせて馬を使うのではなく、馬の成長に合わせてレースを使う。そうなると、どうしても春のクラシックには間に合わず、古馬になってから花ひらく馬が多くなる。
藤沢自身も「私はクラシックの勝ち方は知らないから」と冗談めかして言っていた時期もあったが、シンボリクリスエス(牡、父クリスエス)が2002年の日本ダービーで2着になったころから、藤沢厩舎の馬が春のクラシックで頂点に立つ日は近いと感じさせられるようになった。
前年の2001年からクラシックが外国産馬にも開放されており、青葉賞を勝って出走権を得た本馬は、前述したようにダービーで2着となり、秋は神戸新聞杯(1着)から始動した。菊花賞でも勝ち負けになる可能性は高いと思われたのだが、藤沢は天皇賞・秋に向かうことをオーナーに進言。対古馬初戦となった天皇賞・秋で、好位から力強く伸び、GI初制覇を遂げた。オリビエ・ぺリエを新たな鞍上に迎えたジャパンカップでは3着に敗れるも、つづく有馬記念を完勝。堂々、年度代表馬に選出された。
▲菊花賞には向かわず天皇賞・秋へ、古馬を撃破し見事勝利 (撮影:下野雄規)
翌2003年、史上初となる天皇賞・秋連覇を果たし、前年と同じく3着となったジャパンカップを経て臨んだ有馬記念では、レース史上最大着差となる9馬身差をつけて優勝。2年連続年度代表馬となった。
シンボリクリスエスより1歳若いゼンノロブロイ(牡、父サンデーサイレンス)も、クリスエスと同じく、山吹賞1着、青葉賞1着、ダービー2着、神戸新聞杯1着という戦績だった。しかし、3歳時は天皇賞・秋ではなく菊花賞に出走して4着。つづく有馬記念では、圧勝したシンボリクリスエスの3着となった。
4歳時、2004年は日経賞2着、天皇賞・春2着、宝塚記念4着、京都大賞典2着と勝ち切れないレースがつづいたが、ペリエが騎乗した天皇賞・秋でGI初制覇を果たすと、ジャパンカップ、有馬記念と「秋古馬三冠」をすべて勝ち、年度代表馬に選出された。
▲O.ペリエ騎手を背に「秋古馬三冠」をすべて勝利 (撮影:下野雄規)
藤沢は開業17年目の53歳。この年、10度目となるリーディングのタイトルを獲得。その後も2度、その座につく。調教師試験に合格して開業の準備をする技術調教師が藤沢厩舎で研修するケースが多くなり、成功するには必須の通り道のように見られるようになっていた。
種牡馬としての価値を高めるために天皇賞・秋を勝ちたい――多くのホースマンがそう考えるようになったことには、「藤沢流」の使い方が間違いなく影響している。
先輩のシンボリクリスエスは、種牡馬としてサクセスブロッケン、ストロングリターン、アルフレード、エピファネイア、ルヴァンスレーヴといったGIホースを送り出した。それに比べると見劣りするものの、このゼンノロブロイも、オークス馬サンテミリオンを出すなど頑張った。
初クラシックはダンスインザムードの桜花賞
藤沢に初めてのクラシックをプレゼントしたのは、ダンスパートナー、ダンスインザダークの全妹のダンスインザムード(牝、父サンデーサイレンス)である。デビューから4連勝で武豊を背に桜花賞を優勝。関東馬による桜花賞制覇は、史上初の牝馬三冠馬メジロラモーヌ以来、実に18年ぶりのことだった。
▲初クラシックはダンスインザムードの2004年桜花賞で (C)netkeiba.com
藤沢厩舎の主戦騎手だった岡部幸雄は、八大競走のうち、桜花賞だけ勝てぬまま鞭を置いた。この馬の2戦目にも乗って勝っていたのだが、これも巡り合わせなのだろう。
圧倒的1番人気に支持されたオークスでは4着、ハリウッドパーク競馬場で行われたアメリカンオークスでは2着、秋華賞4着、天皇賞・秋ではゼンノロブロイの2着、マイルチャンピオンシップではデュランダルの2着と、惜しいレースがつづいた。
その後も勝てないレースがつづいたのだが、5歳時の2006年、第1回ヴィクトリアマイルで内から鮮やかに抜け出し、GI2勝目をマーク。安田記念(5着)を経て臨んだハリウッドパーク競馬場のGIIキャッシュコールマイルをビクター・エスピノーザの手綱で勝ち、厩舎による海外重賞2勝目を挙げた。
ダービー馬レイデオロを立派な種牡馬に…
リーディングトレーナーの座に12度もつきながら届かなかった、というより、積極的に獲りにいこうとはしていなかったように思われた「競馬の祭典」のタイトルを、開業30年目の2017年、ついに手中にする。
1989年、ロンドンボーイで22着に惨敗した初参戦から28年、19頭目の参戦となったレイデオロ(牡、父キングカメハメハ)で、第84回日本ダービーを制したのだ。
前週のオークスをソウルスターリングで勝ち、「大尾形」と呼ばれた尾形藤吉に次ぐ史上2人目の重賞通算100勝という金字塔を打ち立てたばかりだった。
▲2017年のダービー、C.ルメール騎手の手綱でレイデオロが制覇 (撮影:下野雄規)
▲開業30年目、ついにダービーのタイトルを手中にした (撮影:下野雄規)
レイデオロの母ラドラーダも2代母レディブロンドも藤沢が管理した馬だった。レディブロンドはディープインパクトの半姉で、5歳時の1000万下特別でデビューし、準オープンまで5連勝。つづくスプリンターズステークスで4着に敗れ、わずか3カ月半の現役生活で引退した。それにシンボリクリスエスを配合して誕生した2番仔がラドラーダである。その仔のレイデオロは、つまり「藤沢血統」から出た馬なのである。
照れ隠しもあったのかもしれないが、ダービーを勝った直後、「嬉しい」と言いながら、手放しで喜んでいるようには見えなかった。「ダービー馬にふさわしい競走生活を送らせて、種牡馬にしたいと思っています」という言葉こそが、調教師としての使命だと考えていたからか。
その言葉どおり、レイデオロは翌年の天皇賞・秋でGI2勝目を挙げ、2019年の有馬記念で7着となったのを最後に引退。社台スタリオンステーションで種牡馬となった。
グランアレグリアと挑んだ、最後の華麗なチャレンジ
競馬史にその名を刻んだ伯楽が、大舞台でともに華やかなチャレンジを見せた最後の馬がグランアレグリア(牝、父ディープインパクト)である。
新馬戦とサウジアラビアロイヤルカップを圧勝すると、牡馬相手の朝日杯フューチュリティステークスに挑戦して3着。そこから直行した桜花賞でGI初制覇を遂げ、対古馬初戦の阪神カップを勝って3歳シーズンを締めくくった。
4歳になった2020年から、スプリント戦とマイル戦で圧巻のパフォーマンスを見せる。高松宮記念こそ2着に敗れたが、安田記念でアーモンドアイを下し、スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップと、凄まじい末脚で3連勝。
そのまま短距離路線を歩めばさらにGI勝利を重ねることができたはずだが、中距離路線に挑戦。重馬場の大阪杯で、スプリントGI、マイルGIにつづく「三階級制覇」を狙い、4着となる。ヴィクトリアマイルを圧勝し、安田記念で2着に惜敗したのち、またも「三階級制覇」に向けて天皇賞・秋に挑むも、エフフォーリア、コントレイルに次ぐ3着。次走のマイルチャンピオンシップを完勝して現役生活を終えた。
▲短距離から中距離路線戦まで、果敢にチャンレンジしたグランアレグリア (C)netkeiba.com
▲ラストランの2021年マイルCSを見事勝利で飾った (C)netkeiba.com
グランアレグリアのローテーション同様、チャンピオンロードを歩みながらも挑戦しつづける――その姿勢を、調教師・藤沢和雄は、最後まで貫き通す。
(文中敬称略、了)