メジロマックイーンが亡くなりました。現役時、春の天皇賞3連覇をどれほど願ったでしょう。
4月3日、その誕生日が命日となり、19歳とサラブレッドにしては短い一生でした。
今ではあまり語られなくなりましたが、天皇賞こそ最高の名誉と考え、そこに思いを強くされていたオーナーブリーダーの北野さん御一家のことが思い出されます。
メジロ牧場を創設された北野豊吉さん、そして奥様のミヤさん。明治生まれの骨太の生き方は、競馬の世界にしっかりした考え方を根づかせてくれたと思っています。御意見番としての存在は大きく、日本人としての誇りをいつもきちんと持っていらっしゃいました。御二人で手を取り合って築いたメジロ王国は、現在は御子息さん達が受け継いでおられますが、父子3代にわたる天皇賞馬をつくられた実績が、今後、オーナーブリーダーとしても達成されることを祈ります。
メジロマックイーンは、菊花賞馬になった翌年から、武豊騎手の手綱へとバトンタッチされました。初めて豊騎手に会ったときの印象をミヤさんは、とっても礼儀正しい青年よと語っておられました。骨太の北野さん御夫妻は、とても気に入っておられたようです。
それに、池江調教師についても、とても我慢をしてくれる人と信頼をおいていました。
メジロマックイーンを取り巻く環境がこのように素晴らしかったことと、その活躍が無関係であったとは思えません。どんな取材でも気さくに応じてくれた北野さんは、人の真実をしっかり見ていらして、誠意のないものには、はっきりものを言われていました。メジロマックイーンは、そうしたオーナーブリーダーの意思をしっかり受け止めた名馬で、平成6年、顕彰馬に選出されたことで、その思いに報いたと思っています。あの世で再会していることでしょう。メジロマックイーン物語は、これからも語り継がれていくべきで、競馬のあるべき姿を見ることが出来ます。