▲キーファーズ松島正昭代表の特別インタビュー (撮影:桂伸也)
いよいよ今週末に迫った日本ダービー。ドウデュースを所有する、キーファーズ松島正昭代表の特別インタビューを4日間連続でお届けします。
第1回では「武騎手の手綱でGIタイトルを手にした意義」についてお聞きしましたが、「今回は武豊騎手との出会い」からを振り返っていただきます。
松島オーナーが馬主資格を取得されるずっと前からの、ご友人関係というおふたり。親しくなったきっかけは、スーパースター・武豊騎手の琴線に触れた松島オーナーのある対応だったそうで…?
(取材・構成=不破由妃子)
「その言葉に豊くんが感動してくれて」
──もともと熱心な競馬ファンだったそうですが、会社を経営されるなかで、やはり「いつかは馬主資格を」という計画を持っていらっしゃったんですか?
松島 いえ、馬主になろうなんて一度も思ったことはなかったです。とにかく馬券が好きやから。馬券ばっかり(笑)。僕はとにかく子供の頃から競馬が大好きだったんですよ。昔の馬もびっくりするくらいよう知ってますよ。
──お父さまの影響ですか?
松島 いや、親父はそれほどでもなかったな。たまに日曜日の競馬中継を見たり、あとは一度だけ京都競馬場にビクトリアカップ(エリザベス女王杯の前身にあたる1975年まで行われていた牝馬限定重賞)を見に行ったくらい。
当時はまだ黄色っぽい芝やったけど、それでもものすごく綺麗でね。とにかくよう新聞やテレビを見てましたよ。それこそ、豊くんのお父さん(武邦彦元騎手)が乗っていたロングエースとタイテエムとランドプリンスのダービー(1972年)とかね。もっと前のスピードシンボリとかダテテンリュウとかアローエクスプレスとか…。
よう覚えてます。今でいうPOGみたいなもので、この馬は先々絶対に強くなるとか予想したりして。
──競馬ファン歴でいうと、半世紀を超えますね。
松島 そうですよ。あの“武豊”が僕の家の近くに住んでいることも知っていました。僕も会社をやっていたので、なにかしらの伝手で豊くんと食事をする機会を作れないかな…と、ずーっと思っていて。共通の知人を通して、やっとそういう機会に恵まれてね。もう20年以上前ですけどね。
──初めて武さんにお会いしたときの高揚感は覚えていますか?
松島 もちろんです。誰と会おうがあんまりビビったりはしないんだけど、あのときはものすごく緊張してね。そんななかでも、食事のあとにもう一軒、誘ってみようと思っていたんです。で、食事が終わって「いつも武さんが行っている店に行きましょう」と言ったら、なんかその言葉に豊くんが感動してくれて。