ノーザンレイクで余生を過ごしたタイキシャトル(提供:ノーザンレイク)
もっと一緒に過ごしたかった
別れは突然だった。前日まで飼い葉をぺろりと平らげ、おやつの人参と黒砂糖を美味しそうに食べた。そして乾草を口にしている姿を確認して、厩舎を後にした。それが2022年8月16日の午後10時頃だった。明けて8月17日。朝はまたやってきたが、タイキシャトルには新しい朝は巡ってはこなかった。シャトルの亡骸を前に、私は悲しみよりも絶望感にとらわれていた。もっと一緒に過ごしたかった。もっと仲良くしたかった。前日あんなに元気だったのに、なぜ? というのが頭の中を巡っていた。それでもともに過ごした1年2か月は、濃密だったと感じてもいた。
相方の川越靖幸とともに引退馬が余生を過ごす牧場を始めるために、それまで暮らしていた茨城県から北海道新冠町に移ってきたのが2020年7月15日だった。キリシマノホシと通称芦毛ちゃんの2頭から始まり、9月には繁殖を引退したタッチノネガイがやってきて3頭になり、10月には種牡馬を引退したプリサイスエンドが認定NPO法人引退馬協会の預託馬として移動してきた。2021年3月にプリサイスエンドが病のために急逝し、再び牝馬3頭の生活となっていたが、6月16日にタイキシャトルとメイショウドトウの2頭が、プリサイスエンドと同じ引退馬協会からの預託馬として移動してきた。
タイキシャトル(右)が牧場に到着した日、野次馬化した女子チーム(提供:ノーザンレイク)
大物2頭を受け入れるにあたって、私自身、かなりプレッシャーを感じていた。だから入厩日が近づくと、楽しみというより妙なドキドキ感に襲われた。ただ到着してしまえば、馬は目の前にいるわけだし、ドキドキとか緊張とか言っている暇はなく、そこから精一杯馬と向き合っていく日々が始まった。
到着初日に放牧地に入れてみると、2頭ともわりとすぐに草を食べ始めてくれたので、ひとまずホッとしたのを今もよく覚えている。集牧時に少し落ち着かない様子だったシャトルを、川越が引いて馬房に収めた。直後に「さすがだな」と呟いた。川越はタイキシャトルがいた藤沢和雄厩舎で厩務員をしていた。自分の担当馬がシャトルの隣の馬房だったので、間近では見てはいたものの、引いて歩いたのはノーザンレイクに来た日が初めてだったそうだ。先日亡くなったゼンノロブロイをはじめ、ゼンノエルシドやマチカネキンノホシ、ウインラディウス、タイキマーシャル、フライングアップルなど数々の名馬、素質馬を担当してきた川越が、歩様や躍動感が尋常ではないと感じたのだから、タイキシャトルという馬は本当に類まれな資質を持っていて、それを27歳(当時)という年齢でも発揮できるというのは素晴らしいことだと思う。
放牧地で草を物色中のタイキシャトル(提供:ノーザンレイク)
一緒に移動してきたメイショウドトウ(提供:ノーザンレイク)
年齢のせいなのか、当初は冬毛がきれいに抜けきっておらず、毛ヅヤも今ひとつ冴えなかった。だが環境が変わっても食欲は旺盛で、飼い葉を用意していると少しかすれ気味の声で盛んに嘶いている。放牧地の青草は喜んで食むものの、主に馬房で与える乾草であるイネ科のチモシーは好まない。マメ科のルーサンは、美味しそうに食べていた。キリシマノホシがかつてお世話になっていたヒポクリニック(現・一般社団法人ヒポトピア)にいる長老・プレストシンボリも、ルーサンを好んで食していたことを思い出した。高齢になると歯が弱くなるので、恐らく硬いチモシーより柔らかいルーサンの方が噛みやすいのだろうと想像している。
振り返るとシャトルが来た年の夏は異常に暑かった。さほど気温が上がらないとされる日高地方でも、30度近い日が多かったのではないだろうか。そのせいか夏場馬たちの血を吸うアブの行動時間も朝早く、アブが飛ばない午前3時台に放牧に出す日が続いた。その暑い最中、シャトルは馬房で後ろ脚を捻挫し、数日舎飼いだったこともあった。放牧地を歩けないので運動不足から腸の動きが悪くなり、疝痛にならないか心配もしたが、どうやら無事乗り切ってくれた。高齢馬の場合、何かトラブルが起こるとそこから連鎖して体調を崩すこともあるだろうし、毎日毎日気を引き締めて世話にあたった。
アブ対策のため、午前3時台の放牧も(提供:ノーザンレイク)
現役時代にそばで目にしていた川越によると、シャトルはよく立ち上がっていて元気いっぱいの競走馬だったそうだ。種牡馬時代も、かなりヤンチャだったという噂は耳に入ってくる。引退馬協会の所有馬となってからは去勢したこともあり、私が放牧地の出し入れができるくらいに丸くはなっていた。そして基本的に、いたずら好きのかまってちゃんで、こちらの手を煩わせることに喜びを感じているような性格だった。
最初は私を観察していたようで、あまりいたずらはしてこなかったので、馬房に入って飼い葉桶を回収したり、水桶に水を足すのもスムーズにできていた。それが1か月もしないうちに、馬房に入ろうとするとすぐに噛みつこうとして、スムーズに仕事が運べなくなってきた。特に私は頭の良いシャトルに甘く見られていただろうから、余計、面白がって噛みつきにくる。実際腕を何度も噛まれているが、アザになったことはあっても、流血したり骨折はしなかった。賢いシャトルは、多分加減をしていたのだと思う。とはいえ、馬の力で噛まれると痛いので、気をそらしたり、時には食べ物でごまかしたりしながら、シャトルの世話をこなしていた。
シャトルの馬体の手入れは川越が行っていたのだが、その最中に必ず脚を伸ばして人間の足を踏もうとする。実はこのいたずらは現役時代からやっていたそうで、川越は隣の馬房からシャトルの担当だった稲葉厩務員の「踏んでる、踏んでる」という声をよく耳にしていたという。それから20数年の時を経てもなお、シャトルは若かりし頃と同じいたずらを繰り返している。しれっと人間の方に脚を伸ばす姿を眺めていると、少し小憎らしくもあり、可愛らしくもあった。スムーズに仕事が進まないのは困ったが、それでもシャトルとはなるべく長い時間を過ごしたい。そう願いながら、日々の世話を続けていた。
手入れをする川越さんの足を踏もうとするタイキシャトル(提供:ノーザンレイク)
(つづく)
▽ 引退馬協会 HP
https://rha.or.jp/index.html▽ ノーザンレイク twitter
https://twitter.com/NLstaff