▲キズナで制した5度目のダービーと凱旋門賞(撮影:高橋正和)
前回の2010年凱旋門賞、その年の3月に落馬事故により大怪我を負っていた武豊騎手は復帰後に臨んだ凱旋門賞から帰国後、以前のような輝きは失われつつありました。「武豊は終わった」そんな声が聞こえる中2013年に出会ったのがディープインパクトの仔“キズナ”でした。
キズナは武豊騎手に5度目のダービー制覇をもたらし、その年の凱旋門賞へ挑みます。そこで立ちはだかったライバルはかつてディープインパクトを管理した池江泰郎師の息子・池江泰寿師が管理する三冠馬オルフェーヴル。さらに武豊騎手と池江泰寿師は幼少期の同級生でした。互いを意識し切磋琢磨し続けてきた2人の勝負の行方は…。
(構成=平松さとし)
「さすがユタカと思いました」意地がぶつかる13年凱旋門賞
2012年暮れ、武豊騎手はキズナ(牡、栗東・佐々木晶三厩舎)と出会った。前任者である佐藤哲三騎手(当時、引退)が、結果的に引退にまで追い込まれる大怪我を負い、それまで乗っていた馬も手放さざるをえなくなった。その1頭として、武豊騎手に白羽の矢が立ったのが、キズナだった。
それまで2戦2勝のこのディープインパクト産駒に日本のナンバー1ジョッキーが跨ったのはラジオNIKKEI杯2歳S(GIII、現ホープフルS・GI)。ここで3着に敗れると、翌13年、3歳初戦の弥生賞(GII)では、良い脚を使いながらも5着と連敗。時計的には勝ち馬から僅か0秒1差の惜敗だったが、当時、武豊騎手は次のように語っていた。
「確かに良い末脚を披露し『これならGIでも……』と思わせてくれる内容でした。ただ、皐月賞の出走権を取れなかったのは痛いですね」
ところがこれが怪我の功名となる。皐月賞(GI)を諦めた陣営は毎日杯(GIII)に使うと、これを快勝。更に京都新聞杯(GII)も連勝して日本ダービー(GI)へと駒を進めた。
▲京都新聞杯を1.4倍の断然人気に応え快勝(c)netkeiba.com
「末脚に懸ける競馬で連勝してくれました。この馬にはこういう乗り方が合っているというのを把握した上でダービーに臨めたのは大きかったです」
そして、ロゴタイプやエピファネイアら皐月賞組を抑えてダービーで1番人気になったキズナは、人気に応える