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39年越しの感謝の思い

  • 2023年01月19日(木) 12時00分
 先日、騎手時代にGI級15勝を含む1112勝を挙げ「天才」と呼ばれた田原成貴さんと、南関東初の女性騎手として97勝を挙げたのちアメリカにわたり、263勝をマークした土屋薫さんとお会いする機会を得た。

 今は、アメリカとカナダで殿堂入りした元騎手のサンディー・ホーリーさんの夫人としてアメリカで暮らす土屋さんが日本に来たのは8年ぶり。

 そんな土屋さんが成貴さんと会うのは、実に39年ぶりになる。

熱視点

39年ぶり再会した土屋薫さん(左)と田原成貴さん(中央)。右は筆者


 この「39年ぶりの再会」のきっかけとなったのは、土屋さんが「田原さんにお礼が言いたい」と、昨秋、SNSで私にメッセージをくれたことだった。

 そのメッセージは、次のようなものだった。

<(数十年前)大井競馬場に交流レースでいらした田原さんからレース終了後、その頃はまだとても珍しい鞍下クッションを頂き大感激の余り満足に御礼も言えなかった覚えが。その鞍下クッションは、長い間アメリカでも大事に使わせて頂きました。是非あの時の御礼を、そして益々の御活躍を祈っておりますとお伝え下さいませ>

 昨秋、スポーツ誌「Number」の競馬特集で、私が成貴さんにインタビューしたことを投稿したところ、土屋さんが、前記のようなメッセージをくれたのである。

 鞍下とは、鞍の下に2つに折って敷く緩衝材のことだ。

 ――さすが成貴さん、やることがカッコいいなあ。

 と思いながら、成貴さんに、土屋さんからのメッセージを伝えた。

 すぐに成貴さんから返信があった。

<覚えています。私がレース後のレセプションに出席しないで休憩室で寝ていた時も話をしました。クッションは他の場所で渡したかも知れません。ここら辺りは記憶がはっきりしません(笑)。

今ではたくさんの女性騎手が活躍していますが、土屋さんがパイオニアです。私が見たなかで一番、自分の重心と馬の支点がジャストフィットしていた女性騎手です。いまだに土屋さんを超える女性騎手を見ていません。

数年前にヤフーか何かのインタビュー記事を読みました。アメリカで幸せに暮らしている事を知りウルッときました。嬉しかったです>

 成貴さんが土屋さんに鞍下をプレゼントしたのは1984年。当時25歳だった成貴さんが2年連続2度目のリーディングジョッキーとなった年だ。前年にはリードホーユーで有馬記念、この年には桜花賞を制するなど、「競馬界の玉三郎」と呼ばれた若き名手は、最初の絶頂期を迎えていた。

 土屋さんはこのとき、デビュー7年目の26歳。成貴さんと同じ1978年に浦和でデビューし、83年秋に大井に移籍していた。彼女がアメリカに渡るのは、成貴さんとの出会いがあった翌年、85年の秋になる。

 今ほど地方と中央の交流が盛んではなかったので、土屋さんと成貴さんとのやり取りは、その一度きりになってしまった。

 騎手時代から深みのある騎乗論を展開してきた成貴さんが絶賛する土屋さんの騎乗フォームの素晴らしさは、次の写真を見るとひと目でわかる。

熱視点

1991年5月14日、土屋薫さんがチャーチルダウンズ競馬場でモーニングクラウンに騎乗し、ダート1300mの第4レースを勝利したときの直線


 土屋さんは、南関東からアメリカに行って乗り方を変えたと話しているが、成貴さんが着目した「騎手の重心と馬の支点」とのフィット感という、馬乗りの基本の部分においては、南関東にいたときから、プロを唸らせるものがあったのだろう。

 成貴さんが褒めていたことを土屋さんに伝えると、次のようなメッセージが届いた。

<私にとって「雲の上、そしていつの日か彼等の様に乗れる様目指したジョッキーリスト」のトップに居られた田原さんに、例え社交辞令でも、その様な暖かいコメントを頂け感謝と共に恐縮の限りです。たった一度大井競馬場でお逢い出来た際の「相手に負担を掛けずにさり気なく与えられる優しさ」に感動しました。あれ以来、田原さんの様に出来る様心がけています>

 こうしたやり取りがあったのは、昨年12月のことだった。

 そして、翌月、つまり今月、土屋さんが帰国したおりに、私を含めた3人で会うことになった。

 私が一番訊きたかったのは、成貴さんがどんなふうに土屋さんに鞍下をプレゼントしたのか、ということだった。

 土屋さんによると、ジョッキールームの出入口で、「これ使えば」といった感じで手渡し、お礼を言う間もないうちに去ってしまったのだという。

 いかにも成貴さんらしいので、それを聞いて嬉しくなった。

 成貴さんは、鞍下をプレゼントしたこと自体、今回、土屋さんからのメッセージを見るまで忘れていたという。

 2人が会ったその日、成貴さんが騎乗したのは交流レースひと鞍だけで、土屋さんと同じレースには出なかった。

「きっと、可愛らしい人だな、と思って渡したんでしょう」

 成貴さんは照れ隠しのようにそう話すが、当時は、たったひとりの女性騎手として奮闘してきた土屋さんの光るものに気づき、嬉しくなって、自分にできることをちょっとした、という感覚だったのだと思う。

 その鞍下は、成貴さんがアメリカの西海岸で騎乗したときに買ってきたものらしい。当時一般的だった、綿のゴワゴワしたものに比べて鞍が馬体にジャストフィットし、気持ちよく騎乗できたという。

 私が「その鞍下があったことで、土屋さんの勝ち鞍が10か15は違ったのではないですか」と訊くと、土屋さんは「もっとです」と即答した。

 土屋さんが、39年前の感謝の思いを成貴さんに直接伝えたこの日、成貴さんは本当に楽しそうだった。このときほどたくさん笑う成貴さんを、私は見たことがなかった。土屋さんが弾丸のように繰り出すアメリカンジョークと、私としては、どこかの媒体で紹介しないともったいないなと思う、身振りをまじえての騎乗論などは、本当に面白かった。

 土屋さんが、全身の動きで馬を前へと推進する追い方を「キドニー・バウンス」ということを教えてくれた。キドニーは「腎臓」という意味で、バウンスは「弾む、跳ねる」という意味だ。

 成貴さんが「トントン乗り」と呼ぶ、鞍を尻に打ちつける追い方と、パッと見は似ているが、中身はまるで異なる随伴(ずいはん)の仕方である。詳しくは、成貴さんが東スポのユーチューブでまた解説してくれると思うので、それを楽しみにしたい。

 土屋さんは今、「Permanently Disabled Jockeys Fund(半身不随ジョッキー支援基金)」という、怪我で乗れなくなった騎手を支援する活動のまとめ役として、ご主人のサンディーさんのほか、クリス・マッキャロンさんなど、名だたる元・現役の騎手が参加するイベントの売上げと寄付金を丸々基金におさめるなどしている。とても優しい人で、偏平足の私が、最近多い土踏まずを締めつける靴下で悶絶したことをSNSにアップしたのを覚えていて、土踏まずに負担のかからない靴下をお土産としてプレゼントしてくれた。

 ずっと楽しみにしていた土屋さん、成貴さんとの食事会が終わってしまって何だか寂しいが、また、こういうふうに会えることを楽しみにしたい。

 土屋さん、成貴さん、ありがとうございました。

 最後に取ってつけたような告知になるが、グリーンチャンネルで私がナビゲーターをした特番『水曜馬スペ!日本競馬とともに〜「優駿」81年のあゆみ』が18日夜にオンエアされた。これからも何度か再放送があるので、ぜひご覧ください。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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