▲勝負服柄をあしらった馬着をまとったグレイトパール(撮影:大恵陽子)
JRA重賞2勝を挙げるグレイトパールが地方・佐賀競馬場へ電撃移籍したのは約4年前。きっかけは同地出身で父が佐賀競馬の調教師でもある川田将雅騎手でした。JRA時代に「ダート界の新星」とも期待された重賞ホースは佐賀でも迫力ある走りを見せ、九州大賞典ではレース史上初となる4連覇を果たしました。
そんなグレイトパールが2月9日の佐賀記念をもって現役を引退し、宮崎県で種牡馬入りすることが発表されました。JRA時代の主戦・川田騎手も駆けつけた引退セレモニーの様子、そして佐賀で約4年、苦楽を共にした川田孝好調教師のお話を振り返ります。
(取材・文:大恵陽子)
馬房の真上に暮らす川田師に「早く水をくれよって顔で見てくる」
芝の新馬戦を勝利後、ダートに転向すると5連勝で平安Sを勝って重賞初制覇を果たしたグレイトパール。4馬身差での完勝に、ダート界に新星誕生かと期待が寄せられました。その後、骨折により11カ月の休養を挟み、復帰初戦となったアンタレスSも制覇。その後は3戦して勝利を挙げられなかったものの、ダート界で存在感を放っていました。
グレイトパールに移籍話が持ち上がったのはその頃でした。
のちに佐賀で管理することになる川田孝好調教師はこう振り返ります。
「うちの息子の将雅がグレイトパールに乗せてもらっていたんですけど、息子を通じて中内田充正調教師から『ファハド殿下が手離されるということで、君のお父さんの厩舎のオーナーでどなたか引き取っていただける方がいるか聞いてほしい』と連絡をいただきました。そこで、現在の馬主である高野哲オーナーにお話をすると、『いいよ』とすぐにご回答いただきました」
中内田調教師の祖父が川田調教師やその父の厩舎に競走馬を預託していたなど、川田家と中内田家は三代にわたって親交があったことも背景にはありました。
しかし、それでも川田調教師はにわかに信じられなかったと胸の内を明かします。
「馬名を間違えたんじゃないの? って息子に言ったんですよ。グレイトパールの名前を聞いた時に『そんなすごい馬がうちに来るわけないじゃないか』と思いました。直近2戦が不振だっただけで、あのままJRAにいてもまだまだやれる馬だと思っていましたし、仮に地方競馬に移籍したとしても南関東だろう、と」
そんな不安を払うかのように川田騎手は「間違いなくグレイトパール」と答えました。
「それからもう大変ですよ(笑)。すごく重たい荷物を背負ったなと思いました」
▲4馬身差で勝利した2017年の平安S、当時はファハド殿下の勝負服(c)netkeiba.com
グレイトパールが川田厩舎にやってきた日からは緊張の連続でした。
川田調教師が暮らすのは厩舎の2階。偶然にもグレイトパールの馬房の真上でした。
「最初の頃は階段を上る足音やテレビの音にも気を使いました。足音が聞こえると暴れる馬も多いんですけど、グレイトパールは性格が良くてね。何事にも動じなくて、そのうちお互いに慣れていきました」
一方で、蹄がとてもデリケートなため、少しでも違和感があると歩様が変わりました。