来週の月曜日、2月27日で、後藤浩輝騎手が世を去ってから8年になる。
つい先日、岩田康誠騎手がYouTubeの東スポレースチャンネルで後藤騎手とのことに言及し、それに藤田伸二元騎手がツイッターで触れ、さらに義英真元騎手も反応していた。
私は彼らの言葉を肯定するつもりも否定するつもりもない。
私にとって、後藤騎手は大切な友人である。
以前本稿にも書いたが、後藤騎手が2014年春の落馬負傷のあと入院していたとき、私は彼を病室に見舞った。自宅兼事務所からJRで隣駅の病院という気安さもあって、かなり長い時間、2人で話した。
今でもときどき、あのときの彼の表情や声を思い出す。頭のてっぺんで髪をちょんまげのように縛り、太い首にコルセットを巻いて、無精髭が伸びていた。
何を話したかも、もちろんよく覚えている。あの落馬事故に対して、また、岩田騎手について、どう思っているかも聞いた。
後藤騎手のことを好きな人は、彼の死を、次のようにとらえてはどうか(すでにそうしている人もいるかもしれないが)。
彼は、騎手のまま命を絶った。それは事実であるが、表現のアプローチを逆にして、「最後まで騎手として生きる道を選んだ」と、受け止めるべきだと思う。私はそうしている。だから、ここには「元騎手」ではなく、あえて「騎手」と記している。
彼が、最後まで騎手として生きる道を選んだことに、他人の力は介在していない。彼が自分で考え、決めたことなのだ。
誤解のないよう記しておく。2014年4月27日の東京第10レースの直線で、岩田康誠騎手の騎乗馬が斜行し、後藤騎手が落馬した。その2年前のNHKマイルカップでも、岩田騎手による走行妨害で後藤騎手が落馬した。どちらにおいても後藤騎手の騎乗馬の前脚がさらわれ、転倒した。そして、岩田騎手は走行妨害による騎乗停止処分を受けた。
事実はそれだけで、岩田騎手には、後藤騎手の落馬に対する責任はあっても、死に対する責任はない。
ここで先述したことに戻るのだが、後藤騎手は、あくまで、自分で、最後まで騎手として生きることを決めたのだ。最後まで騎手であることを望んだのだ。
もちろん、今でも悲しい。特に、落馬してほどなく送ってくれた「しばらく入院しますが、進化して復活できるよう頑張ります」というメッセージを思い出すと、「復活」はしてくれたが、もっともっと「進化」した姿を見せてほしかったと、胸が苦しくなる。
彼の名誉のために加えたい。彼は、けっして弱い人間ではなかった。プロの騎手が、大切な頸部の不調に何年も悩まされつづけた状況で、最終的にあの道を選んだのは「弱いから」と言う人間のほうがどうかしている。
私がもし、何も書くことができなくなったらどうするか。書けたとしても、自分で「これはおかしい」と思うものしか書けなくなったら、今のままでいられるだろうか。自らピリオドを打つことはない、と言い切る自信はない。
脳や、手先の機能には関係のないところだが、今週受けた癌検診の胃カメラで、十二指腸にたくさんのポリープが見つかった。写真を見せてもらったら範囲がかなり広く、再検査になるかどうか、来週には連絡が来ると思う。
まだ腫瘍と決まったわけではないのだが、この年齢になると、「死」は、人生の流れから独立したものではなく、「生きることのうち」なのだと思わざるを得ないほど身近になってくる。
極端な言い方をすると、私の場合、こうして何らかの情報を不特定多数の人に向けて発信しつづけることさえできれば、生きていようが死んでいようが構わないわけだ。
だから、物書きの場合は、死んでからも、誰かの興味を惹いたり、気持ちを動かしたりできるものをどれだけ残せるかが、実は大切なのかもしれない。
私たちにとって、数々のビッグレースを制した後藤騎手の記憶は、彼の生前も今も変わらない。もちろん生きていてほしかったが、今なお、以前と変わらぬ「騎手・後藤浩輝」が存在する瞬間を、私はいろいろなときに感じる。
本当に素晴らしい騎手だった。そして、面白い男だった。私は今も、彼のことが大好きだ。
また機会があれば、後藤騎手について、じっくり話したいと思う。