栗東で、今年騎手を引退した人にインタビューしてきた。今は帰りの新幹線の車中である。メディアの仕事では、作品が世に出るまで外部に内容を漏らさない、というのが不文律になっている。それでこんな回りくどい表現になったが、今年騎手を引退した人と言えばすぐわかるだろうから、書いてしまう。
熊沢重文さんである。
互いに20代のころから、競馬場やトレセンのほか、祇園の川床のある店で同じ席になるなど、挨拶と、簡単なやり取りをしたことはあったが、膝を突き合わせて話すのは今回が初めてだった。
意外にも、と言っては失礼になるが、とても話が面白かった。レース後の検量室などでは、あまり表情を変えず、結果がよくても悪くても淡々と受け入れる職人気質なところを感じさせるタイプだった。が、私が知らなかっただけで、サービス精神もたっぷりある人だ。
これは川田将雅騎手にも言ったことがあるのだが、私は、文章を書きながら楽しいと思ったことは、仕事を始めた30数年前から一度もない。楽しみながら書いたことがない、と言い直してもいい。
しかし、取材対象となるレースや、馬の様子を見たり、関係者の話を聞いたりして「面白い」と思うことは、もちろんある。仕入れた材料が面白い、すなわち、なるほどと思えたり、人に伝えたくなったりするほど良質であればあるほど、質を落とさず活字にする責任が大きくなり、書くことが苦痛になるのはご理解いただけるだろう。
熊沢さんの話が面白かったので、これから苦しい作業をこなさなければならない。それを楽しむことができるほどの才能と心の余裕があればいいのだが、残念ながら、私にはない。
先月の11日に引退式をしてからひと月も経っていないのだから当たり前かもしれないが、熊沢さんは、雰囲気も、表情も、そして体型も、騎手時代のままだった。
あの、ズブい馬でもしっかり動かすダイナミックな追い方を見られなくなるのは寂しいが、また別のテーマで話を聞かせてもらいたい、と思える引き出しをいくつも見せてもらえたことをプラスにとらえたい。
熊沢さん、37年の騎手生活、お疲れさまでした。
以前当欄に書いたように、年を取ったからなのか、知っている人の人生の区切りに立ち会えるのなら立ち会いたい、と思うようになった。ちょうどコロナ禍に突入したころ、四位洋文調教師の騎手としての最後の週末となった土日も、私は現地にいた。2月29日(土)まで「騎手・四位洋文」だったのが、翌3月1日(日)付で「調教師・四位洋文」になったわけだが、新たな道に足を踏み出す覚悟が彼の表情から伝わってきて、それだけで来てよかった、と思った。
そして、これは自分で口に出しさえすれば、その声が相手に届かなくてもいいのかもしれないが、「お疲れさまでした」と言いたい。何となく、顔見知り以上の関係なら、そうするのが礼儀のような気がするのだ。
福永祐一調教師には、騎手引退後、なかなか会う機会がなかったのだが、この春のドバイワールドカップ諸競走のあと、ドバイのホテルのロビーで伝えることができた。
熊沢さんにもそれを言える日が来るかどうかと思っていたので、伝える機会を与えてくれた媒体には感謝している。
競馬学校騎手課程1期生の柴田善臣騎手、2期生の横山典弘騎手、2期生と同学年の小牧太騎手、3期生の武豊騎手、それに熊沢さんを合わせて「5G(ファイブジー)」と言われていた。熊沢さんの引退によって、新たに加わるのは5期生の田中勝春騎手、ということになるのか。
私のなかでパッと浮かんでくる勝春ジョッキーのイメージは、今でも「カッチー」というニックネームと、「競馬界の王子様」と呼ばれていた、爽やかな笑顔である。
王子様が5G入りしてしまうのだから、私もジジイになるわけだ。
イクイノックスの引退が、一般のニュースでも報じられていた。今は例年なら別れの季節ではないはずだが、受け入れなければならない別離が多くてやり切れない。
別れの反対語は出会いなのだろうが、そっちに目ぼしいものがないのは、殻に籠もりがちな自分のせいかもしれない。
今回もまた、とりとめのない話になってしまった。