日本テレビでドラマ化された『セクシー田中さん』の作者で、漫画家の芦原妃名子(あしはら・ひなこ)さんが1月29日に亡くなった。50歳だった。現場の状況から自殺と見られている。
そこに至る経緯を、一連の報道やSNSを参考にまとめると、次のようになる。
同作は連載中でありながら、昨年10月期に日本テレビ系でドラマ化された。1〜8話を担当した脚本家が、昨年12月、インスタグラムで9、10話の脚本を書いたのは原作者であることに触れ、「過去に経験したことのない事態で困惑しましたが」と記し、別の日に「脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした」と加えた。アカウントは非公開だが、スクリーンショットが残されている。
そして、今月26日、芦原さんは旧ツイッターのXで、ドラマの制作サイドと見解の違いがあったと記し、9〜10話の脚本を自ら担当することになった経緯を説明した(削除済)。芦原さんの最後のポストは、28日午後1時11分の「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」というものだった。
日本テレビはドラマの公式サイトに、芦原さんに対するお悔やみの文言を掲載した。そこには「日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております」と記されている。自分たちには落ち度も責任もない、というエクスキューズである。
さらに、同局サイトのトップページに別の文言が加えられた。そこには「関係者個人へのSNS等での誹謗中傷などはやめていただくよう、切にお願い申し上げます」とある。
関係者個人というのは、主に脚本家を指しているのだろう。それはいいとして、人に一方的なお願いをする前に、自分たちからここに至る経緯をきちんと説明すべきではないか。ひどい話である。
物語をつくる作家の端くれで、自作がドラマ化されたことのある立場から、言いたいことは山ほどある。
最初に断っておくが、私は芦原さんと面識はないし、脚本家を含むドラマの制作サイドにも知人はいない。
私の『絆〜走れ奇跡の子馬』がドラマ化されたのは、プロデューサーが私にメールをくれたのが始まりだった。彼も福島出身で、東日本大震災と原発事故の被災地となった福島の浜通りの人々(特に、津波で亡くなった相馬野馬追騎馬武者の蒔田匠馬君)に対する私の思いを理解してもらった。
そして、脚本家とも制作会議で会った。会議は2時間ほどで、彼女と一対一で話した時間も20分ほどはあったと思う。主に、競馬という、触れたことのない人にとってはきわめて特殊な競技の説明と、サラブレッドの魅力、馬づくりの醍醐味などを伝えたと思う。短いやり取りだったが、響くところが大きく、「この人なら大丈夫」と安心できた。
さらに、私の場合は、馬を扱うためのアドバイザーを紹介したり、ロケハンやロケそのものにも立ち会ったりし、制作サイドとコミュニケーションを取る機会が多かったので、『セクシー田中さん』のケースのようなトラブルはなかった。
SNSでほかの漫画家のコメントなどを見ていると、脚本家が他人の作品でオリジナリティーを出そうとするのがおかしい、といった声が多い。私もそれはもっともだと思う。
脚本というのは、原作に忠実にその場面やセリフを再現しようとするだけでも、実は相当難しく、高い職能が求められる。原作者が普通に納得できるレベルの脚本を書くことができたというだけで、その脚本家が十分以上にオリジナリティーを発揮したと言えるほどだ。つまり、無理にストーリーをねじ曲げる必要は、本来ならないはずなのだ。
それに、ストーリーや設定を変えるのは、私の知る限りでは、最後にまとめる脚本家より、プロデューサーや、プロデューサーが音頭を取る制作会議での合意によるところのほうが多いように思う。それに従って脚本家はシーンの「間」や、セリフのディテールを文字にし、演出家(監督)が、光の加減や俳優の動きや表情など細かな指示を出す。
脚本家がひとりで原作とは違ったものにしたわけではないだろう。この件に関しては、制作のプロセスより、先述したように、インスタでトラブルを表沙汰にしたことのほうがまずかったのではないか。
原作と原作者に対するリスペクトがあれば、こうしたことは起こらなかった、という意見もある。それも半分同意できるが、別にリスペクトまで行かなくても、こちら(原作者)も痛みや苦しみを感じる人間だ、ということを普通に理解して接してくれるだけでいい、と私は思う。日本テレビが出したコメントを見ると、そうした人間らしい温かさがまったく感じられない。原作や原作者を「素材」のひとつくらいにしか見ていないのだろう。だから、自分たちがいいと思うひな型に当てはめるために原作をねじ曲げることに疑問も抵抗も感じないのではないか。
リスペクトに関してもう少し言うと、芦原さんぐらいの作家になれば、リスペクトは普段からあちこちで得られていただろうし、リスペクトされたいから作品をつくりつづけてきたわけではないはずだ。
月並みな表現になるが、これはドラマの制作サイドの構造的な問題に起因することだと思う。
日本テレビがこの件とどう向き合っていくか、今後も注視したい。
私たちは、大きな才能を失った。悲しいし、悔しいし、腹立たしい。
なかなか気持ちは晴れないが、最近出会った、別の才能の持ち主について書いておきたい。
先日、2023年の優駿エッセイ賞でグランプリを受賞した、お笑いコンビ「テンポイント」の松下慎平さんに初めて会った。ナンバーウェブの編集者A氏と3人で、私の地元で羽根つきギョーザなどを食べた。「編集者A氏」としたのは、松下さんが優駿エッセイ賞グランプリ受賞記念にナンバーウェブに書いた、箱根駅伝の山登りの5区を歩いてみたという記事にそう登場しているからだ。
松下さんは、今すぐ「優駿」などのライターとして主力になれる筆力の持ち主だが、これからもお笑い芸人を本業として頑張っていくつもりだという。
プロに対して失礼を承知で言うと、お笑いには、単純にボケとツッコミという意味ではなく、「笑われる人」と「笑わせる人」がいると思う。松下さんは、オーストラリアで騎手見習となり、その道を断念して帰国し、数カ月勉強しただけで大阪大学に入り、そこを中退して現在に至る。これだけ頭がいいのに笑われる側を演じると嫌らしいし、笑われるには、顔もよすぎる。服装も綺麗で、お腹は出ていないし、髪の毛もあり、メガネもかけていない。
私としては、彼には、徹底的に「笑わせる側」で勝負してほしいと思っている。
そんな話をしたら、彼はネタとして「競馬芸」を考えており、例えば、GIホースの名前を一気に数十頭言ってみる、といったことにトライする気があるようだ。なるほど、ダービー馬の名を「ワカタカ、カブトヤマ、フレーモア、ガヴアナー、トクマサ……」と、第1回から最新のタスティエーラまで早口で噛むことなく90頭言い切れば面白いだろう。さらに、ダービージョッキーの名を「函館孫作、大久保房松、大久保亀治……」と言い、最後のほうで「武豊、武豊」と武騎手の名がつづくところなどは、それだけでウケるかもしれない。
こういう嫌な気持ちをほぐし、癒してくれるのは、物語かお笑いだ。
松下さん、競馬芸、待ってるよ。