先日、グリーンチャンネル「草野仁のGate J.プラス」の収録現場に行ってきた。都営三田線内幸町駅からほど近い、日比谷フォートタワー地下1階のGate J.東京である。草野仁さんや、グリーンチャンネル顧問のYさんと制作部長のSさんらに、拙著関連でお世話になったお礼を言うためと、ゲストで、2023年度の馬事文化賞を受賞した写真家の岡田敦さんに会いたかったからだ。
受賞作『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』(インプレス)を読んで、丹念な取材と、取材対象に向き合う真摯な姿勢に感銘を受け、作中に描かれた人馬の物語のスケールと、写真の美しさに圧倒された。装丁にも岡田さんの思いがこめられており、それも収録時に話していたので、ぜひ、オンエアを見てほしい。
先週の当欄で、原作と、そのドラマ化の問題について記したが、本来、メディア化というのは、原作と映像作品のどちらを先に見るべきかワクワクしながら悩んだりできる、楽しいものであるはずだ。
こちらは、原作と、その映像化作品という関係ではないが、私は『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』を読んでから、「草野仁のGate J.プラス」で本書制作の裏話を聞いたり、本書に関連する動画を見たりする、という順序になった。岡田さんの本を読むのと、草野さんの番組で岡田さんの話を聞くのと、どちらが先になっても楽しめるはずだ。両方見ると、より楽しい、ということは間違いない。
収録前、岡田さんと話すことができた。岡田さんも私も札幌出身なので、つい、共通の知り合い探しなどの地元トークをしてしまったが、もっと創作に関する話や、馬への思いなどを聞けばよかった、と、今になって思っている。それでも、久々に「本物のアーティスト」に会うことができて、嬉しかった。
さて、今も少し触れた、日本テレビのドラマ『セクシー田中さん』の原作者、芦原妃名子さんの急死に関して、同作の版元の小学館が、この件に関して社外に発信する予定はないことを、社員向けの説明会で明らかにしたという。
40年近く前、私が初めて原稿料なるものをもらったのは、小学館の「GORO」という若者向け雑誌に記事を書いたときだった。仕事を始めたばかりだったので、今のような署名記事ではなかった。自分のワープロを校了前の数日は編集部に置きっぱなしにして、隅っこのほうで原稿を書いては、編集者に食事に連れて行ってもらう、という日々を過ごしていた。
徹夜で作業したときは、翌朝、編集者やほかの若手ライターたちと一緒に山の上ホテルに行き、自分の金では払えない、たくさんの小鉢がセットになった朝食弁当、夜は近くの高級中華料理店で上海ガニなどを経費で食わせてもらうのが普通だった。海のものとも山のものともつかない若手ライターでも、とても大切にしてくれた。
一部の社員だけがそうしてくれたわけではなく、ほかの部署の編集者も同様で、それが社風だと私は思っていた。
私が競馬以外の原稿を書くことのほうが多かった1990年代は、「GORO」以外にも、同社の「DIME」「SAPIO」「週刊ポスト」といった情報誌のほか、「週刊少年サンデー」「少女コミック」「ヤングサンデー」「ビッグコミック」「ビッグコミックスピリッツ」などの特集や投稿欄など、マンガ誌でも仕事をしてきた。
何人、何十人もの編集者の顔と名前が脳裏に浮かび上がってくる。
彼らが、「芦原さんの急死に関して、社外に発信しない」という決定を下したとは、ちょっと信じられないし、信じたくない。個人の意思と、組織の意思は異なってくるものだろうが、だとしても、本来なら作家側に立つべき出版社の姿勢として、とても受け入れられるものではない。
私が最後に小学館でした仕事は、伊集院静さんの『旅だから出逢えた言葉』の文庫の解説文の執筆だった。
伊集院さんが生きていたら、どうしていただろう。怒ったであろうことは間違いないが、「バカヤロー」と役員を怒鳴りつけるようなことはしないと思う。
伊集院さんは、どんなときでも、人を攻撃するのではなく、寄り添い、守ろうとした。
小学館が対外的に発信しようとしないのは、発信すると何らかの不都合が生じるからではないか。その不都合によって立場が悪くなる人もいるのかもしれないが、その前に、芦原さんの尊厳を守り、芦原さんの家族など大切な人たちの気持ちに寄り添うにはどうすべきなのかを、小学館の責任ある立場の人間は考えるべきだと思う。
問題が解決できるかどうかは、先に考えるべきことではない。芦原さんの尊厳と、大切な人たちの気持ちのために、今、何をすべきか。芦原さんの家族と会ったとき、まず、どんな言葉が出てくるか。
互いに、同じ人間なのだと考えれば、難しいことではないと思う。
このままでお終い、ということにはならないことを願っている。
構造的な問題が根っこにあるだけに、時間は薬にはならない。