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【松永昌博調教師】「弟子は家族」馬と人を育て、ともに歩み続けてきたホースマン人生── 一番弟子と挑むかきつばた記念

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  • 2024年02月26日(月) 18時02分
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▲引退を間近に控えた松永昌博調教師(撮影:大恵陽子)


調教師の定年の季節がやってきました。3月3日の競馬を最後に引退する調教師のうちの一人、松永昌博調教師は「ブロンズコレクター」と呼ばれたナイスネイチャと騎手時代にコンビを組み、有馬記念3年連続3着。調教師に転身後は馬だけでなく人も育ててきました。

そうした中、2月29日かきつばた記念(JpnIII、名古屋ダート1500m)に出走のラプタスの鞍上には、なんと一番弟子の森一馬騎手の名が。そこには主戦騎手からの粋な計らいがありました。引退を控えた松永調教師の思い、そして森騎手、小沢大仁騎手の2名の弟子からの思いに迫ります。

(取材・構成:大恵陽子)

「人懐っこい馬やった」お墓参りもしたナイスネイチャ


──競馬界に47年。改めていま振り返って、思い出に残ることは何ですか?

松永 いっぱいあるよねぇ。どれ? って急に言われても思い出されへんけど、ナイスネイチャのことは最近はいっぱい聞かれたね。「有馬記念で3年連続3着でしたね」ってそればっかり言われるけどね(笑)。

──騎手としては勝ちたかったことでしょうが、ファンにとってはそれだけ個性的な名馬でした。

松永 乗っている時はそんなに思わなかったけど、いま思えばいい馬に乗せてもらっていたんやな、と思います。1994年高松宮杯は2年7カ月ぶりの勝利で、ホッとしたし、嬉しかったですね。メンバーも揃ってたんよ、ダービー馬(ウイニングチケット)もおってね。

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▲3年連続有馬記念3着として語り継がれるナイスネイチャ(c)netkeiba


──残念ながら昨年、35歳でこの世を去りました。

松永 大往生やろうね。生前は北海道に行ったらちょこちょこ会いに行っていました。担当厩務員のことは覚えていると思うけど、さすがに乗り役(騎手)のことなんか覚えてなかったと思うよ。だけど、人懐っこい馬やったから、会いに行くと寄ってきていました。最後は生まれ故郷の牧場に帰れて、良かったんじゃないかなと思います。お墓参りにも行ってきました。

──調教師になってからの思い出に残る馬となると?

松永 ウインバリアシオンかな。強い馬(オルフェーヴル)がおって、2着ばっかりやったから、GIを獲らせてあげたいなって思いはありました。いまは種牡馬になっていて、何とか活躍馬を出して、長いこと種馬生活をしてほしいですね。産駒が走らないと、種馬も淘汰されるから。

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▲調教師になってからの思い出の馬ウインバリアシオン(撮影:下野雄規)


「最後だし、乗せてあげて」家族のように思う弟子と挑む重賞


──2月29日かきつばた記念に出走のラプタスの鞍上は一番弟子の森一馬騎手と発表されました。その経緯を教えてください。

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