昨秋の追突事故による首の痛みが、ようやくやわらいできた。それでも、運転中、深く首を回して左右確認するときなどに痛むことがあるので、今もリハビリに通っている。
病院は自宅兼事務所から徒歩数分のところにあり、リハビリのメニューは、10分マイクロ波で患部を温めてから、10分マッサージを受ける、というものだ。計8人のマッサージ師のうち、日によって3人か4人で施術をしている。どのマッサージ師に当たるかは、受付でもらう番号札によるので、同じ人につづけて当たることもあれば、なかなか当たらない人もいる。4カ月ほど通っている私は、全員に複数回施術してもらった。
8人のなかで最も話が合うのは、私と同い年のHさんという男性だ。8人のうち4人は視覚に障害があり、うち2人は、施術後のカルテへの記入を、自身に代わって事務員がするほど見えづらいらしい。Hさんもそのひとりだ。
それでも、何度目に当たったときだったかは忘れたが、私が自分の職業を伝えると、数日後、「キンドルで武豊騎手の本、読みました。距離感がちょうどいいと思いましたし、武騎手がどうしてあんなに勝つのか、納得できました」と感想を聞かせてくれた。
そう、Hさんは競馬が好きなのだ。イクイノックスが天皇賞(秋)やジャパンCを勝った話でも大いに盛り上がった。
私は、12月に『ブリーダーズ・ロマン』が出てすぐ、サイン本をプレゼントした。
同い年なので、共通の「世代ネタ」が多く、若いころは文書をフロッピーに保存していたことや、携帯電話がなかったころのミステリードラマの話や、好きだった昭和歌謡曲の話などを、首と肩をマッサージしてもらいながら楽しんでいる。
Hさんは、私が寺山修司記念館の佐々木英明館長とトークライブをしたことも知っていて、「寺山修司記念館のサイトを見たら、VR展示などが充実していて、素晴らしいですね」と話していた。
そのHさんが、先週、久しぶりに担当になった。
「この前ようやく島田さんの新著がアップルブックスになったので拝読しました。一気に読みました」
何となくそうかもしれないと思っていたのだが、私が渡した紙の本は、読むことができなかったようだ。Hさんはつづけた。
「いただいた大切な本を、朗読ボランティアに頼むのもどうかと思ったので、電子化されるのを待っていたんです」
よく考えもせずに文庫本を差し上げたことを申し訳なく思ったが、謝るのもかえって失礼になるような気がして、私は聞いた。
「キンドル端末のように、バックライトのあるもののほうが読みやすいんですか」
「いえ、そうではなく、音読機能を使っているんです」
「寺山修司記念館のサイトなどはどうやって見ているんですか」
「テキストの読み上げ機能です」
私は、Hさんの視力がどのくらいなのか、今も知らずにいる。何度か、黙っていても私に気づいてくれたこともあったが、どのくらい見えているのかを聞いていいのかどうかもわからずにいる。
ただ、間違いないのは、イクイノックスの呆れるほどの強さや、以前本稿に書いた、島田雅彦さんが教えてくれた「人間の細胞は6年で全部入れ替わる」という説に勇気づけられる部分、伊集院静さんが亡くなった喪失感の大きさなど、いろいろなイメージや感情を、とても深いところで強く共有できている、ということだ。
読書家のHさんには「島田雅彦さん」と言うだけで説明不要だし、伊集院さんの弟さんが早くに亡くなっていたことも知っていた。それは『いねむり先生』を読んでいたからだという。
「一冊読むのに、音読機能だと7、8時間かかるんじゃないですか」
私がそう聞くと、「どうですかね」と、答えたくないのではなく、計測などはしていないようだった。今、Hさんは『ブリーダーズ・ロマン』を再読しているところで、それによって、プロローグの意味が1回目に読んだときとは違った形で入ってきて面白いのだという。
Hさんが音読機能で読書をしていると知って、いろいろなことを思い出した。
文士馬主でもある浅田次郎さんは、自身の本を読む速さはほぼ音読のスピードで、1時間に原稿用紙100枚のペース、つまり、400枚の本だと4時間かかると話していた。
プロ野球の投手だった江夏豊さんは、新幹線での移動中、愛読しているという『竜馬がゆく』を小さな声で音続していた。
演出家・小説家として知られた久世光彦さんは、いつも原稿を10枚ほど書くたびに音読し、引っ掛かったところを直していると言っていた。
私も、特に表現に迷ったところなどは音読して推敲していたのだが、いつの間にか、声を出さなくなっていた。
Hさんは、「読む」という行為の意味について、あらためて考えるきっかけを与えてくれた。
これを入稿したら、またリハビリに行く。今日はHさんに当たるだろうか。