4月6日のレース中に落馬した藤岡康太騎手が、10日に亡くなった。享年35歳。
昨年のマイルCSでテン乗りのナミュールを見事な騎乗で勝利に導き、今年も順調に勝ち鞍を重ねていた。これからキャリアのピークを迎えようとしていた矢先の事故で、小さなお子さんもいるなかでの旅立ちとなってしまった。
兄の藤岡佑介騎手が話していたように、私たちが競馬を楽しめなくなってしまうのは康太騎手の本意ではない。
康太騎手の支えもあって皐月賞を制したジャスティンミラノを主役とするクラシック戦線をはじめ、これからの競馬を楽しむというのが、私たちにできることなのだろう。
藤岡康太騎手、安らかにお眠りください。
今年のクラシックは、ディープインパクトとキングカメハメハの産駒がいない初めての年である。大混戦と言われるようになったのはそれも影響していたと思われ、同様に、サンデーサイレンス産駒がいなくなる最初の年となった2007年のクラシックも混戦だった。その年の桜花賞を勝ったのはダイワスカーレットで、皐月賞はヴィクトリーが優勝。オークスはローブデコルテが勝ち、日本ダービーは、桜花賞で2着だったウオッカが制した。
オークスは、直前にダイワスカーレットが熱発で回避していたし、日本ダービーでは圧倒的1番人気のフサイチホウオーが7着に沈むなど、順当な結果ではなかった。
それに対して今年は、阪神JFと桜花賞は1、2着が入れ替わっただけだった。アスコリピチェーノはNHKマイルCに向かうようだが、レガレイラがオークスに出れば、上位争いのメンバーは限られてくるのではないか。そしてダービー戦線では、ジャスティンミラノが無敗で、時計の裏打ちもあるぶん、2007年よりカタそうな感じがするが、どうだろう。
さて、大谷翔平選手の通訳だった水原一平氏が銀行詐欺罪で訴追されるなど、事件の概要が明らかになるにつれ、水原氏の手口の悪質さも露顕してきた。
報道では「水原一平容疑者」と呼ばれているが、「容疑者」というのはあくまでも新聞やテレビなどのマスコミ用語なので、ほかの人たちまで同様に使う必要はない。法律上、犯人の疑いをかけられた人は「被疑者」で、起訴されたら「被告人」と呼ぶのが正しい。起訴されたあと「○○被告」と敬称のように使うのもマスコミだけである。
なので、特殊詐欺などの電話で、相手が警察を名乗っておきながら「容疑者」だとか「重要参考人」などという、実際には警察で使われていない言葉を口にしたら、その時点で詐欺だと見破ることができる。特に高齢の家族がいる人は、それをしっかり伝えておくべきだと思う。
しょっちゅうテレビに出ている紀藤正樹弁護士や八代英輝弁護士などは「容疑者」と言うこともあるが、彼らも法廷では「被疑者」と言っている。マスコミ慣れしているので、周囲に合わせているだけだ。
話が逸れたが、なので私は、これからも水原一平氏と表記すると思う。
水原氏は、違法ギャンブルの負け分(賭け金)は大谷選手の口座から胴元に送金し、的中したときの払戻しは自分の口座に送らせていたという。それは、金の出し入れが派手になって目立つことのないようにすることが目的だったと思われるが、もうひとつ、別のよくない効果も生んでしまった。
国民的作家で、文士馬主としても知られた吉川英治(1892-1962)は、『折々の記』所収「競馬」にこう書いている。
<私は、以前の一レース二十円限度時代に、朝、右のズボンのかくしに、十レース分、二百円を入れてゆき、そのうち、一回でも、取った配当は、左のかくしに入れて帰った>
右のポケットに入れた賭け金は損得関係なしの「楽しみ料」で、左のポケットに入れた払戻し金は「儲け」だと考えたのだ。だから吉川は、人に競馬の収支を訊かれたら「負けたことはありません」と答えていたという。
これが吉川流の、競馬を気持ちよく楽しむための方法であった。
水原氏は、大谷選手の口座を右のポケットにしていた。「楽しみ料」は無限大に近い額だった。最終的な数字を見ると、右のポケットから出した金は279億円以上、左のポケットに戻ってきたのは217億円以上、差し引き62億円以上の負けだったわけだが、「儲け」の左ポケットに217億円以上が戻ってきたという事実もあったわけだ。これも彼の感覚を狂わせたように思う。
また、水原氏は、胴元へのメッセージに何度も「これが最後」と記している。これが最後と言っておきながらまた賭けてしまうのは、ギャンブル依存症の人に限ったことではない。それが証拠に、馬券を売る多くの国のレースでは、メインレースのあとにもレースがある。ドバイワールドCが最終レースなのは、現地では馬券を売らないことと無関係ではないだろう。
最後をなかなか定められないことと、ギャンブルの面白さは表裏一体であるだけに、難しい。
ひとつ、伊集院静さんの言葉を紹介したい。
ギャンブルは人生の何の役にも立たない(『ピンの一』より)。