▲シャマルでかしわ記念を制した川須栄彦騎手のインタビュー後編(撮影:高橋正和)
22年の南部杯後、一時コンビを解消することとなった川須栄彦騎手とシャマル。今回は、離れた約1年間と黒船賞での復活に至るまでのストーリーを中心にお届けします。
離れた期間も、川田将雅騎手から毎レース報告を受けていたという川須騎手。「今では実りある乗り替わりだった」と振り返ります。関わる人々の努力と想い、シャマル自身の頑張りが詰まった復活劇。二人三脚で歩んできた“裏側”を赤裸々にお話いただきました──。
(取材・構成:不破由紀子)
「川田さん、瑠星には感謝しないといけないな」
──チャンピオンズCから川田さんに手綱が渡り、シャマルの走りを外から見る立場に。約1年間、どんな思いで見ていたのかなって。
川須 黒船賞を勝って、かしわ記念(4着)も本当にいい競馬で、シャマル自身に対しては「よく頑張ったなぁ」という印象だったんですけど、黒船賞のレース後、「まだ本来の動きができないなかで…」と川田さんがおっしゃっていたように、チャンピオンズCや兵庫ゴールドトロフィーのときの走りはできていなかったんだろうなと思っていました。
──自分の手を離れたとはいえ、心配だったでしょうね。
川須 そうですね。競走中止や除外もありましたし…。ただ、レース後は毎回必ず川田さんが「今はこういう感じだから、こういう走りになる」というように、そのときのシャマルの状況を僕に報告してくれていたんです。それと、馬主さんサイドに「シャマルは長い時間をかけて川須が作ってきた馬だから、調教もレースも川須に戻すべきだ」というようなことをずっと言ってくれていたみたいなんですよね。
──コンビ復活の陰にそんなエピソードがあったなんて…。確かに、難しい馬であればあるほど一朝一夕にはいかないでしょうし、逐一川須さんにシャマルの状況を報告していたことにもつながりますね。で、去年の年末からまた調教に乗り始めて。
川須 松下先生から声を掛けてもらって乗り始めたんですけど、僕からするとまさかでしたね。うれしかったです、本当に。厩舎サイドとしても、一昨年GIに手が届くところまできて、去年が勝負だと思っていたと思うんですよね。でも、なかなか思うようにいかなくて…。そういう経緯も知っていますし、また依頼してもらったからには今まで以上に頑張らなくちゃなと思いましたね。
──年末に久々に跨ったシャマルの状態はどう感じましたか?