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セコい馬券コレクター

  • 2024年07月18日(木) 12時00分
「カードホルダー」と英語で書かれているので、これは名刺入れなのだろう。新書判くらいのそれを、私は「記念馬券入れ」として使っている。色はブラック。全部で120枚入れることができる(ポケットが120ある、と言うほうが正しい)。

 それを仕事場の書棚から取り出し、最初のページをひらいた。一番上のポケットには2007年有馬記念出走時のウオッカの「がんばれ馬券」が入っている。ウオッカはこのとき3歳。牝馬として64年ぶりのダービー馬となり、一躍スーパーヒロインとして注目されるようになっていた。この有馬記念では3番人気に支持されたが、11着に敗れた。

 ウオッカの馬券と同じポケットには、ほかの馬のがんばれ馬券も重ねて入っている。すぐ下の一枚を引き出した私は愕然とした。同じ有馬記念のダイワスカーレットのがんばれ馬券である。ウオッカのライバルだったダイワスカーレットは5番人気で2着になっている。そう、これは当たり馬券なのである。たぶん保存用にと思ったのだろう。額面は100円、つまり単複で200円だ。複勝は370円ついたので、この馬券に関して私は170円儲けていた。それを、このセコい私が換金せずにいたということを、にわかには信じられなかった。

 さらにページをめくって目を疑った。翌08年秋の天皇賞のダイワスカーレット(2着)のがんばれ馬券も、同年のジャパンカップのウオッカ(3着)のがんばれ馬券もある。

 前者の払戻しは130円、後者は140円。トリガミではあるが、これらの馬券が現金化できるものであったことに違いはない。

 当時の私はセコくなかったのか、それともバカだったのか。

 贔屓にしていたスマイルジャックのがんばれ馬券も、勝った東京新聞杯や3着になった2度の安田記念など、何枚も的中したものが入っている。

 的中しているものはどれも100円馬券なので、やはり保存用に買ったのだろう。

 誰に見せるわけでもなく、もちろん売るわけでもなく、ただ保存してある。ひょっとしたら、私はコレクターなのか。

 藤田菜七子騎手が2016年3月3日に川崎でデビューしたとき、初騎乗となったコンバットダイヤ(8着)の単勝馬券が2枚、2着になったミスターナインワンの複勝馬券が3枚入っており、どちらの券面にも「藤田菜七子」と騎手名がプリントされている。

 知り合いにプレゼントしようと思って何枚も買ったのに、やはりもったいないと思って取っておくことにしたのだろうか。だとしたら私らしいと言えなくもない。

 ウオッカやダイワスカーレットの馬券はだいぶ印刷が薄くなっているが、藤田騎手のデビュー日の馬券は新品と変わらないほど保存状態がいい。

 大井の的場文男騎手の勝負服の柄が入った馬券も、オジュウチョウサンの有馬記念のがんばれ馬券もある。

 もっかのところ、最後のポケットに入っているのは、今年3月3日の中山第8レースのタケルジャックのがんばれ馬券だ。「コビさん」こと小桧山悟元調教師のラストランの記念馬券である。

 コレクターは、こうして、感情の動きを含めた過去の記憶を取り戻すために何かを残しておくのだろうか。いや、先のことを考えているわけではなく、今捨てずに取っておくこと自体に価値と意味を見いだし、そうしているような気がする。

 さて、この稿がアップされる翌日、7月19日(金)に、伊集院静氏の吉川英治文学賞受賞作『ごろごろ』の文庫版が集英社から発売される。その巻末に掲載される解説を、私が執筆した。以前、ここで少し触れたように、武豊騎手とのエピソードを盛り込んだものである。

 久しぶりにすごいものが書けた、という実感がある。それ以上に『ごろごろ』は素晴らしい作品なので、ぜひ多くの人に読んでもらいたい。

『ごろごろ』が電子化されるかどうか、私にはわからないのだが、されたとしても、集英社文庫の場合、解説は電子版には掲載されない。なので、交通事故後に通っている病院のマッサージ師で、競馬好きのHさんに読んでもらうには、キンドルなどの読み上げ機能以外の何かに頼るしかないわけか。

 今、仕事場のデジタル時計で3時33分33秒を見ることができた。それを見ることができたらいいことがある(と思っている)時刻のベストは11時11分11秒で、セカンドベストは12時34分56秒だ(末広がりなので)。その次が2や3のゾロ目である。若いころは、4や9がたくさん出てくる時刻を見ると不吉に感じていたのだが、家族や親しい人が他界していくのを見ているうちに、向こうで会いたいという思いが強くなったからか、嫌ではなくなった。

 最後はまた、わけのわからない話になってしまった。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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