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“JRAジョッキー・小牧太”の最後の1日に密着──「涙はとっておくよ」移籍セレモニー&夜の大壮行会をレポート/後編

  • 2024年07月26日(金) 18時02分
太論

▲密着レポート後編!(撮影:大薮喬介)


7月21日、JRAジョッキーとして「最後の1日」を迎えた小牧騎手。正真正銘のラストライドとなった小倉12Rでは、12番人気モズアカボスを見事勝利に導くという強烈なドラマを演出してくれました。

後編では、その後に行われた移籍セレモニーの様子をレポート。ここに至るまでの心の変遷、仲間たちへの思い、そして移籍後の覚悟──。ジョッキーとして、そして人間として。“小牧太”の魅力が凝縮された時間となりました。

前回はこちら▼
“JRAジョッキー・小牧太”の最後の1日に密着──「最終頑張るわ!」モズアカボスと生んだ歓喜の裏側/前編

(取材・構成=不破由妃子)

息子の勝利で幕を開け、父の勝利で幕を閉じた最初で最後の日


「魂の騎乗を見せたい」

 ラストウィークを前に殺到したメディア取材で、そんな意気込みを語っていた小牧さん。レース後、関係者たちの温かい拍手に迎えられた際も、柔和な笑みのなかに強い矜持を滲ませながら、「魂の騎乗や」と一言。その言葉通り、最終レースの手綱には間違いなく魂が宿っていました。

 検量室前に集まった関係者たちとしばらくその余韻を楽しんでいると、この日、友人代表としてプレゼンターを務めた伊藤永二郎オーナーの勝負服に身を包んだ小牧さんが再登場。「いよいよだな」と思っていると、誰かがふと「あれ? 加矢太はまだ?」と、その不在に気づきました。

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▲「なんとか伊藤さんの馬で1勝を」と願い、何度も袖を通した勝負服。残念ながら中央では勝つことはできませんでしたが、ふたりの夢はまだ道半ばです。(撮影:大薮喬介)


 この日、10時10分発走の福島1Rを8馬身差の圧勝で飾り、その足で小倉に向かったという加矢太騎手。8Rの前に小牧さんと話をした際、「小倉にいち早く向かうために、8馬身もちぎったらしいで(笑)」なんて冗談を言っていましたが、聞けば20分近い飛行機の遅延があったとのこと。なにしろ、福島から小倉まで、直線距離で1000kmをゆうに超える大移動です。誰もがその到着を待ちわびるなか、いよいよセレモニーの時間が迫り──。

「加矢太きた! 間に合った!」

 誰かが叫びました。振り返ると、そこには息を切らした加矢太騎手の姿が。加矢太騎手もこの日のプレゼンターのひとり。ひと息つく間もなく花束を受け取ると、すぐさまプレゼンターの列に加わったのでした。

 場所は違えど、“息子”の勝利で幕を開け、“父”の勝利で幕を閉じた最初で最後の日。しかもこの日は、札幌のメインを55歳の武豊騎手が勝利し(福島のメインでは、57歳の柴田善臣騎手が2着!)、小倉のメイン→最終レースでは、ともに56歳の横山典弘騎手と小牧太騎手が勝利のタスキをつなぐという、いぶし銀祭りでもありました。小牧さんのラストライドとともに、きっと語り草になるのでしょうね。

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▲関西騎手クラブの旅行をきっかけに、仲良くなったという横山典弘騎手。はたしてどんな言葉で送り出してくれたのか…。(撮影:大薮喬介)


 セレモニーでは、12Rの劇的勝利を振り返ったあと、改めて地方競馬への再挑戦の理由を聞かれた小牧さん。ここ5、6年、騎乗馬がなかなか集まらなくて悔しい思いばかりしていたこと、現役を続けていくための方法をいろいろと考えたこと、その結果、園田だったら乗せてもらえるのではないかと思いついたこと──。

 金曜日にようやく仕上げたという挨拶文。いかにも小牧さんらしい飾らない言葉で、今日ここに至るまでの心の変遷を伝えてくれました。なかでも印象に残ったのは、「昔の自分に負けないように」という言葉。なにしろ、園田で一時代を築いたスーパージョッキーです。その当時の自分をライバルに据えるとは──最後の挑戦に舵を切った“ジョッキー・小牧太”の、強烈な覚悟を感じました。

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▲「ライバルは昔の自分」。園田で待つファンの期待に応えるため、自ら高いハードルを課した小牧騎手。(撮影:大薮喬介)



 JRAでの一番の思い出を聞かれ、「たくさんの騎手仲間とね、アホなことばかり言って。若さを保てたのは、仲間たちのおかげ。本当に楽しかったです」と、感謝を込めて答えた小牧さん。“一番”として語られたのは、勝利したGIではなく、ともに過ごした仲間との時間。誰とでも分け隔てなく、同じ目線で時間を紡いだ小牧さんならではだなと思い、なんだか目頭が熱くなりました。

 セレモニーを締めくくったのは、そんな仲間たちによる恒例の胴上げです。若手からベテランまで、たくさんの騎手たちが小牧さんの元に集まり、まるで第三章に向けて弾みをつけるかの如く、大先輩の小さな体を軽々と空へ。心温まるシーンとなりました。

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▲20代の若手からベテランまで、みんな最高の笑顔で大先輩の門出を祝った。(撮影:大薮喬介)



 胴上げのあとは、色紙を手にウイナーズサークルに集まったファンのもとへ駆け寄った小牧さん。時間の都合上、どうしても全員の期待には応えられないため、「ごめんなさいね」と謝りながら、それでも時間いっぱいに対応していました。

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▲数え切れないほどの色紙が差し出され、書けない人には「ごめんなさいね」と謝る。小牧騎手ってそういう人です。(撮影:大薮喬介)


 さて、競馬場をあとにした“チーム小牧太”ご一行。この日の夜は、待ちに待った大壮行会です。

 小牧さんの行きつけの店に集まったのは、鹿児島から駆け付けた中学の同級生諸氏、古くからお付き合いのある関係者や友人、ガンバルフトシ、ヤルキゲンキフトシなどのオーナー・伊藤永二郎さん、エージェントの浄閑さん、そして弟の毅さんを含む小牧ファミリーなど、総勢30名。

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▲普段から小牧騎手を応援しているという中学の同級生が、この日のために鹿児島から7名も駆け付け、みんなでラストライドの劇的勝利に酔いしれた。(撮影:大薮喬介)



 午後6時を過ぎた頃、小牧さんが到着し、各自生ビールを手に宴がスタート。久しぶりのビールを喉に流し込んだ小牧さん、「美味い!」と言いながら、この日一番の笑顔を見せたのは言うまでもありません。

 一次会が間もなく終了という頃、したたかに酔った小牧さんが叫びました。『栄光の架橋を歌いたい!』。そうですよね、セレモニーで流してもらおうと思ったら、却下されちゃったんですものね…(笑)。

 というわけで、二次会はカラオケのあるBARへ。掲載した写真は、『栄光の架橋』を熱唱する貴重な親子ショット! ちなみに小牧さん、このあともう一回、『栄光の架橋』歌ってた…(苦笑)。

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▲途中から“助っ人”として加矢太騎手が加わった念願の『栄光の架橋』。聞けば聞くほど、ジョッキー・小牧太のテーマソングであることを実感。(撮影:大薮喬介)



 さて、密着レポートはこれにて終了。「小牧さんのために、競馬の神様がディレクションしたのかな」と思うほど、忘れられないエピソードが満載のドラマな1日でした。

 そうそう小牧さん、宣言通り、最後まで涙はなし。「絶対に泣くはず」と思っていた筆者の読みは見事にハズレました。「だって引退じゃないんやから。泣くのはまだ早い。鞭を置くその日まで、涙はとっておくよ」。そんな小牧さんの言葉に、改めて覚悟を見たと同時に、この日は「始まりの日」でもあることを思い知らされたのでした。

 ジョッキー・小牧太の第3章は、引き続きこの『太論』で詳報する予定です。掲載日や掲載頻度などに若干の変更はあるかもしれませんが、園田での活躍をお伝えするのはもちろん、移籍したことで可能になる中央のGI予想もあるかも!?

 今後も盛りだくさんの内容で「小牧太騎手情報」をお届けする予定なので、今後とも『太論』をどうぞよろしくお願いいたします!

(了)


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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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