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【小牧太騎手へ(1)】“あきらめない男”に惹かれ、支えたふたりからのメッセージ──伊藤永二郎オーナー&エージェント淨閑延浩氏

  • 2024年07月29日(月) 18時02分
太論

▲伊藤オーナー&エージェント淨閑氏から、小牧太騎手へのメッセージ(撮影:大薮喬介)


小牧太騎手の園田移籍に際したプチ特集。本日公開の第1弾では、JRAでの晩年を支えた伊藤オーナーと、JRA最後の1年をエージェントとしてともに戦った淨閑さんからのメッセージを公開!

明後日、水曜日に公開の第2弾では、長男の小牧加矢太騎手、長女の小牧ひかりさんからのメッセージをご紹介します。

(取材・構成=不破由妃子)

ガンバルフトシ、ヤルキゲンキフトシなどのオーナーで、小牧騎手のJRAでの晩年を支え続けた伊藤永二郎さん


 太くんと出会ったのは、ずいぶん前になりますね。太くんの師匠、曾和直榮元調教師の息子さんである栄司くんと知り合いで、彼が全日本の男子バレーボール選手と滝行に行くというので(曾和栄司氏は、JVA日本バレーボール協会の認定トレーナー)、僕も行くことにしたんです。そのときに、たまたま太くんも来ていて。栄司くんと太くんと僕は同級生ということもあって、すぐに仲良くなりました。

 そのあとは、一緒にゴルフに行ったり、十三で飲んだり。そんな付き合いをするなかで、「ええ男やなぁ」と思ってね。ホンマにええ男なんですわ。聞けば、一時は園田で不動のトップの座にいて、今は中央で頑張っているけど、なかなか厳しい状況にあるという。人生、やっぱり波があるじゃないですか。その波が下降線にあるときに支えられる人間が本当の仲間やと思うんです。

 それでね、「そんなら俺、お前を勝たせるわ」言うて。それで中央競馬の馬主資格を取ったんです。サワーホマレーに始まり、ガンバルフトシ、ヤルキゲンキフトシ、ふざけた名前ばかりでね(笑)。でも、勝ってなんぼ、結果がすべての世界だから、本気で勝たせようと思っていました。結局、勝たせることができなかった僕は今は何も言えないけれど、その後、地方競馬の馬主資格も取りましたから、近い将来、必ず太くんと勝ちたいと思っています。

 人生は一度切り。僕も、そして太くんも、やっぱりやり切らんとね。やり切ることが人生の基本、僕はそう思っています。たとえお金がなくなったとしても、また頑張ったら稼ぐことができる。でも、人間関係や人の心はそうはいかない。だから、馬主としてもそうだけど、何より仲間としてね、これからも太くんとの絆を大切にしていきたいと思っています。

 園田でリーディングを…なんていう声もありますが、年齢も年齢ですからね。とにかく最後まで太くんの信念を貫いてほしい。それが僕の願いです。頑張れ!

太論

▲伊藤オーナーの所有馬ガンバルフトシと小牧騎手(C)netkeiba


JRAでの最後の1年をエージェントとしてともに戦った淨閑延浩さん


 丸々1年、小牧さんのエージェントをさせていただきました。入ってみてわかったのですが、やはり競馬界は人間関係がすごく濃密な世界。僕のように、右も左もわからない人間が外からポンと入ったところで、受け入れてもらうのは難しいんだな…と実感したと同時に、思いがけず可愛がってくださる方がいたり、なかでもエージェントの先輩方には本当に助けていただきました。何より、これまで歩んできた人生とは、まったく違う景色を見せてもらった。ものすごい経験をさせていただいたと思っています。

 僕が「エージェントをやらせてください」と申し出たときから、小牧さんは「そんなに甘い世界ではない」と言い、実際、「僕のせいで君をつらい目に遭わせるのは嫌だ」と何度も断られました。それでも僕は「すべて承知の上です。僕はめげない。何かできることがあるならば、僕にやらせてください」とずっと言い続け、最後の最後に「そこまで言うなら」と首を縦に振ってくださった。粘った甲斐がありましたね。

 僕がなぜそこまでエージェントにこだわったかというと、小牧さんは決して「あきらめる」という単語を使わない人だから。たとえば、トレーニング中に苦しそうな姿を見て、僕が「ストップしますか?」と言っても、「大丈夫。やる」と言い、最後までやり切る。著しく騎乗数が減り、腐ってもおかしくないんじゃないかと思える状況もずっと見てきましたが、小牧さんは決して腐らなかった。本当に気持ちの強い方なので、そこに惹かれる方も多いのではないかと思います。

 加矢太くんが小牧さんの一言で障害専門のジョッキーを目指したこともそうですが、常にあらゆる可能性に頭を巡らせ、何かできることはないかと頭を働かせている人なんですよね。そんな小牧さんが、「60歳まで乗る」という目標を本気で掲げていた。そのために、僕も力になりたかったんです。

 本当は、小牧さんを応援するすべての人に、もっとちゃんとした結果をお見せしたかったです。それができなかったことについては、本当に申し訳なく思っています。 

 最後の日まで、あと1週間、あと数日…と思うたびに、込み上げてくるものがありました。小牧さん本人は「泣かない」とおっしゃっていましたが、僕自身は「泣くかもしれない」と家族にも伝えていたくらいです。

 ただ、まさかあんな最後が待っているとは…。なにか奇跡を起こしてくれるはずとは思っていましたが、想像以上のドラマが待っていましたね。もう涙が止まりませんでした。

 最後の最後まで追い続ける姿を見届けることができて、本当に幸せでした。小牧さんのためにエージェントになったので、僕のエージェント生活も終わりです。ただ、うれしいことに、小牧さんのジョッキー人生はまだまだ続きます。これからも友人として、一人のファンとして、小牧さんのあきらめない人生を応援し続けたいと思っています。

(水曜公開の第2弾へ続く)
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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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