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【小牧太騎手へ(2)】「本当にカッコいい父です」子ども達からのメッセージ──バレットのひかりさん&加矢太騎手

  • 2024年07月31日(水) 18時01分
太論

▲小牧ひかりさん&加矢太さんから、小牧太騎手へのメッセージ(撮影:大薮喬介)


小牧太騎手の園田移籍に際したプチ特集。本日公開の第2弾では、バレットとして支え続けた長女・ひかりさんと障害専門のJRAジョッキーとして活躍する息子・加矢太さんからのメッセージをご紹介します。

(取材・構成=不破由妃子)

11年間、小牧さんのバレットとして、その戦いを一番近くで見守り続けた長女・ひかりさん


 7月21日は、父がJRAの騎手として迎えた最後の日。バレットとして11年間、父が戦う姿を近くで見てきたので、私自身、どういう感情になるんだろう…と想像できずにいました。

 でも、あの日私の前に現れたのは、本当にいつも通りの父で。そんな父を見ていたら、自然と私も“いつも通りの日曜日”を過ごすことができていました。中京記念が終わったあとも、「こんなにいつも通りの自分のまま終わるんだ…」と思っていたんです。そうしたら、最後の最後にすごいことが起きて──。

 いつもと違ったことといえば、レースに向かう父に声を掛けたこと。これまでは言葉にしなくても伝わっているだろうと思い、声を掛けることはなかったのですが、中京記念の前は「いってらっしゃい」と声に出して送り出し、最終レースの前は「後悔のないようにね」と伝えました。父からは「いつも後悔せんように乗ってるわ!」という返事が返ってきましたけど(笑)。

 私はバレットなので、最終レースは検量室のなかでみんなと一緒に見ていました。直線に入ると、角田大和騎手を筆頭に、その場にいたみんなが「行けー! 行けー!」と叫んでいて。その熱量といったら、「これGI? ダービー?」と思うほどでした。1着でゴールする父の姿を見て、もちろんすごくうれしかったのですが、周りのみんながあまりに騒いでいるから、逆に冷静になってしまいました。ただ、冷静だったからこそ、周りのみんなが喜んでくれているのがすごくうれしくて。父が勝ったことと合わせて、さすがに込み上げるものがありました。

 私は今、坂井瑠星騎手を中心にバレットをしているので、わかりやすく言うと、瑠星騎手が私のボスです。日によっては、父を含めてほかの騎手も担当していて、担当している騎手が同じレースに乗っていても、真っ先に馬具を受け取りに行くのは瑠星騎手と決めています。

 あのレースでも、まずは瑠星騎手の馬具を受け取りに行ったのですが、瑠星騎手が「僕なんていいから、太さんのところに行ってあげてください」と言ってくれて。その心遣いがとてもうれしかったです。まぁそのあとも父はなかなか帰ってこなかったんですけどね(笑)。

 それにしても、まさかあんなにカッコいい終わり方をするなんて…。あんなにいい日になるとは思ってもいませんでした。当分、あのレース映像でお酒が飲めますね(笑)。

 周りのみなさんは、「園田に行ったら、もう一度リーディングを!」と言ってくださいますが、私たち家族は、そこを目指してほしいという気持ちはないんです。もしリーディングを目指したりしたら、父らしく乗れなくなると思うから。もちろん、父らしく乗った上でリーディングを獲って、ワールドオールスタージョッキーズの地方代表としてJRAに帰ってきたら、それはそれで最高ですけどね。

 60歳まで乗ることが父の目標なので、そこは目指してほしいし、あとは園田で加矢太と一緒に乗る姿を見ることができたら、それ以上望むことはありません。父が60歳になるまでには、加矢太が平地の免許取得にチャレンジできるので、今はふたりが同じレースに乗っている姿を見るのが夢ですね。ちなみに、「63歳くらいまでは乗っていそうだなぁ」というのが母の予想。母の予想は当たるので、もしかしたら63歳くらいまで乗っているかもしれませんが(笑)。

 JRAでの晩年はつらい時期もありましたが、そんななかでも父が長く踏ん張ってくれたからこそ、障害専門ジョッキーという加矢太の道が開けた。そういった心の強さも含め、私にとって父・小牧太は、本当にカッコいい父です。だから、周りの方に「危ない」とか「おじいちゃん」とか言われてしまうのは絶対に嫌なので、どうかカッコいい父のまま園田でムチを置いてほしい。最後までカッコいいジョッキー・小牧太を見ていたい。それが私の唯一の願いです。

小牧さんの閃きに導かれて、障害専門ジョッキーとして人生を歩み始めた長男・小牧加矢太騎手



 最後の最後、競馬の神様がいましたね。僕も12Rの前に小倉競馬場に着きたかったのですが…。レースには間に合いませんでした。

 僕たち家族は、最後のセレモニーも父のためではなく、これまでお世話になった方たちに感謝の気持ちを伝える場だと受け止めていました。小牧太という人間は、人に感謝をして生きてきた人間ですから。それは、僕たち家族が一番よくわかっています。だから、ギリギリではありましたが、息子としてセレモニーに立ち会えて本当によかったです。

太論

▲沢山の人が集まった小倉競馬場でのセレモニー(撮影:大薮喬介)


 最後に勝てたのは、父の人間性というか、これまで踏ん張ってきた証かなと思っています。周りへの感謝の気持ちを忘れない父も、最後に勝った父も、本当にかっこよかったです。

 ご存じの通り、小牧太は引退するわけではありません。これからも父のジョッキー人生は続きます。父のおかげで今の僕はありますから、これからもジョッキーの大先輩として、そして父親として、そのかっこいい背中を追い続けていけたらと思っています。
(了)
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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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