安田記念が行われた日の夕刻、都内のホテルでキャロットクラブのパーティーが催された。JRA賞の授賞パーティーが行われているのと同じ会場で、メジャーな文学賞のパーティーなどと変わらないほど規模が大きく、華やかだった。
調教師はみな、列をなす会員さんたちと話すことで忙しそうだった。面識のある調教師のほとんどとは会釈するだけで終わったのだが、池江泰寿調教師とは、少しだけ話すことができた。初めて会ったとき、彼は同志社大学の学生だった。馬術部のバイトで競馬場に来ていたのだろうか。メジロマックイーンが現役だったころだ。
ステイゴールドの現役時代には、父の池江泰郎厩舎の調教助手になっていたという。
今、私はメジロ牧場を創設した故・北野豊吉さんを初めて競馬場に連れて行った、日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイさんを主人公とするノンフィクションノベルを「優駿」に連載している。
エイさんと北野さん、沖崎家と北野家の関係などを池江調教師に説明すると、「その人がいなかったら、親父もぼくもまったく変わっていたでしょうし、メジロマックイーンやオルフェーヴルも誕生していなかったかもしれないですね」と驚いていた。
競馬というのは、血統が重要な馬はもちろん、ホースマンも、金がかかるし、人脈が大切なので、政治家のように親の地盤を引き継ぐことが力になる。持って生まれたものを才能と定義するなら、それも大きな才能と言うことができる。
そうした世界では、エイさんと北野さんのように、もし誰かと誰かが出会っていなかったらどうなっていたか――ということが実に多い。とても細い道や、いくつもの分かれ道を通った先に「今」があるのだ。
かつてメジロ牧場だったレイクヴィラファームの積雪量が多いことに関して、池江調教師が興味深いことを教えてくれた。中途半端に雪が降って放牧地がグチャグチャになるより、根雪でかたまってしまったほうが蹄にいいし、そこで走ることによって鍛えられる。だから、坂路などがなくてもメジロの馬は強かったのではないか、と。
レイクヴィラファーム代表の岩崎義久さんもパーティーに出席していた。池江調教師から聞いた話を伝えると、やはり、ブルドーザーで圧雪して動けるようにしており、GPSでわかる放牧地での運動量は、ほかの牧場より多くなっているのだという。「それがGIでの結果に結びついてくれると、もっと胸を張って言えるんですけどね」と微笑んだ。
私がキャロットクラブのパーティーに出席したのはこれが2回目なのだが、前回以上に、初対面の会員さんなど、いろいろな人に声をかけてもらって嬉しかった。いつもこの稿を読んでいるという人や、私の本は全部読んでいるという人(ホントかな)、30年近く前のイベントでも会った人、グリーンチャンネルで私がナビゲーターをした番組を見てくれたという人、さらには何冊か本を出している版元の編集者もいて、いつもとは違った話ができて、新鮮だった。
また、癌の手術を受けたサラブレッド血統センターの辻一郎さんとも久しぶりに会えて、元気そうで安心した。
みなさま、どうもありがとうございました。
パーティーの2日後の6月10日、火曜日、関東地方が梅雨入りしたと見られる、と発表された。去年より11日早いとのこと。
スギ花粉はほとんど飛んでいないはずなのに、目のかゆみがひどく、ずっと眠気が残っているような感じで、欠伸ばかり出る。おそらくPM2.5のせいだ。汚いものも一緒に吸い込まないと生きていけないのだから仕方がないとはいえ、どうにかして発生源のほうに押し返すことはできないのか。
自分の力が及ばない何かから生まれる物語は面白い、と言ったのは誰だっただろう。今、「netkeiba」に連載する名馬物語のスタートに向けて、担当編集者とともに動いている。その馬について複数の関係者に取材できるタイミングは、今が最後かもしれない。さあ、頑張ろう。