「メイショウ」の冠で知られる松本好雄オーナーが、個人馬主として史上初となるJRA通算2000勝を達成した。先週の土曜日、8月23日の中京第3レースで、高杉吏麒騎手が乗るメイショウハッケイが記録した。
1976年1月10日にメイショウグリーンで初勝利を挙げてから半世紀近くかけての偉業達成となった。
クラブ法人を含めると、4700勝以上をマークしている社台レースホースをはじめ、サンデーレーシング、サラブレッドクラブ・ラフィアン、キャロットファームなどが通算勝利数で上回っているが、個人馬主としては、2位の吉田照哉オーナーの1135勝(先週終了時)の倍近い、突出した数字である。
GI初制覇は、メイショウドトウによる2001年の宝塚記念。馬主としての初勝利から25年後に手にした栄冠であった。その後、メイショウボーラーが2005年のフェブラリーS、メイショウサムソンが2006年のクラシック二冠と2007年の春秋の天皇賞を勝ったほか、メイショウマンボが2013年に牝馬GIを3勝し、さらに今年の宝塚記念をメイショウタバルが制して、所有馬によるJRA平地GI10勝目を挙げた。
そのほか、メイショウダッサイがJ・GIを2勝し、メイショウハリオが地方交流GIを3勝している。
どの馬も、社台グループの生産ではない「日高の馬」だ。いわゆるエリートと対照的な、叩き上げの戦士というイメージである。
通算勝利数ということで、馬主以外を見ていくと、だ。
調教師では、「大尾形」と呼ばれた尾形藤吉元調教師が、JRAが創設された1954年以降だけでも1670勝を挙げている。これは尾形元調教師が62歳になってからの勝ち鞍である。その前の国営競馬時代、日本競馬会時代、倶楽部時代は資料が不十分なので正確な数字はわからないが、1100勝以上は確実に挙げていた。つまり、通算2770勝はマークしていたと思われる。
通算勝利数の第2位は、1570勝の藤沢和雄元調教師。3位は1358勝の松山吉三郎元調教師だ。
騎手では、武豊騎手が通算4603勝、2位の横山典弘騎手が2983勝(いずれもJRAのみ、先週終了時)で、3位の岡部幸雄元騎手が2933勝だ。
ひと昔前は「1000勝すれば一流」と言われ、それが調教師試験の一次試験免除の要件にもなっていたのだが、今は2000勝以上した騎手が、前記3名のほか、福永祐一調教師、蛯名正義調教師、柴田善臣騎手、川田将雅騎手、河内洋元騎手・調教師、増沢末夫元騎手・調教師、そしてクリストフ・ルメール騎手と、計10人になった。
生産者では、社台ファームとノーザンファームがそれぞれ通算1万勝以上している。
「メイショウ」の冠は、松本オーナーの出身地である兵庫県明石市の「明」と松本の「松」を組み合わせ、なおかつ「名将」をかけたものとのこと。
「名将」といえば、先月、MLB(メジャー・リーグ・ベースボール)シンシナティ・レッズのテリー・フランコーナ監督が史上13人目の通算2000勝を達成したことがニュースになっていた。MLBの監督通算勝利数のトップはコニー・マック元監督(1862-1956)の3731勝だという。
日本のプロ野球では鶴岡一人元監督の1773勝が1位で、2位が1687勝の三原脩元監督。「名将」として知られる「ノムさん」こと野村克也元監督は5位の1565勝だ。
競馬も野球も、ひとつ勝つことがいかに難しいかは言わずもがなだろう。
そうした勝負の世界で、誰もなし得なかった域に到達したのだから、賞賛の言葉をいくつ並べても足りないくらいだ。
松本オーナー、おめでとうございます。
本稿を書きながら、自分にも通算の勝利数をカウントできることがあるかと考えてみたが、思いつかない。
これまで出した本の通算部数は、勝ち負けと言えるかどうか微妙だし、トータルの数が小さいので、意識するとへこむ材料にしかならないような気がする。
例えば、会社員でも、保険の営業マンなどは通算契約数が記録として残っていたりするのだろうか。
だとしたら、それも厳しい勝負の世界だ。
考えてみると、私は長らく「勝負」と言えることをしていないのだから、勝ったも負けたもない。
最後はわけのわからない話になってしまった。