先週の日曜日は朝から忙しかった。
日本時間午前7時25分に米国デルマー競馬場でスタートしたBCクラシックを、ノーザンファームが生産して藤田晋オーナーが所有し、矢作芳人調教師が管理するフォーエバーヤングが坂井瑠星騎手の手綱で優勝した。
チームジャパンが育てた日本男児が、「凱旋門賞より遠い」とも言われた世界のダート王決定戦を制したのだ。
いやあ、すごいなあ、と余韻に浸りながら、知人たちがどんなふうに喜んでいるか見るためフェイスブックを開くと、私の誕生日を祝うコメントがズラッと並んでいた。
せっかく「おめでとう」と言ってくれている人に対して失礼なので今まで黙っていたが、実を言うと、私は「誕生日おめでとう」と言われるとひどく気が滅入ってしまうのだ。40歳を過ぎたころから、年を取って衰えていくことの何がめでたいのか、本当によくわからなくなった。それでも、私を落ち込ませるために「おめでとう」と言っているわけではないことはもちろんわかっているので、いつも礼を言ってきた。また、自分の誕生日を喜んでいる人には私からお祝いの言葉を口にすることもある。
ともかく、それでその日が11月2日であることを認識した。
フォーエバーヤングの快挙から1時間半ほど経った午前9時ごろからメジャーリーグベースボール(MLB)のワールドシリーズ(WS)第7戦が始まり、大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希の日本人3選手を擁するロサンゼルス・ドジャースが劇的な勝利をおさめ、昨年につづいてワールドチャンピオンになった。
巨人ファンを長期休養してドジャースファンになった私にとって、これはめでたい。
足どり軽く東京競馬場に行き、天皇賞(秋)を外国人騎手ボックス馬券で的中させ、ほぼ行って来いだったので、まあよかった。
天皇賞(秋)の共同会見終了後、もうひとつの連載の担当編集者C君と一緒に検量室を離れてパドック脇に出ると、スクリーンに田中勝春調教師が映っていた。ちょっと感じが変わったな、と思いながら私はC君に訊いた。
「このトークイベント、見ていく?」
「いや、ソリマチの話は別にいいっス」
と苦笑するC君を横目で見ながら、ソリマチって誰だろうと考え、少し経って俳優の反町隆史さんであることに気がついた。
私がカツハル調教師だと思ったのは、ソリマチさんだったのだ。なんだ、そうだったのかと思ってまたスクリーンを見たら、笑ったときなど、本当はカツハル調教師なのではないかと思うほどよく似ている。
さて、話をフォーエバーヤングのBCクラシック制覇とドジャースのWS連覇に戻すと、今年は、ハクチカラが日本馬では戦後初の海外遠征として保田隆芳騎手(当時)とともに渡米した1958年から67年、村上雅則投手(当時)がMLB初登板を果たした1964年からは61年になる。
アメリカは、国家としての歴史は日本よりずっと浅いが、こと近代競馬と野球に関しては、日本でこれらが行われるようになってからずっとお手本であり、目標でありつづけた。
ハクチカラは渡米3戦目、ハリウッドパーク競馬場ダート2600mのサンセットハンデキャップで4着となった。健闘を讃えた現地の関係者から、西博オーナーは握手攻めにあったという。総賞金10万ドルのうち4着の賞金1万ドルは当時のレートで360万円。日本ダービーの1着賞金200万円を上回る額だ。このレースは2013年にハリウッドパーク競馬場が閉場したときはG3だった。そのクラスのレースでの4着が「快挙」だったのだ。
今では外国馬が掲示板に載るのも大変になったジャパンCも、1981年に創設された当初は、欧米の二線級の馬たちに日本の一流馬がやられていた。
それがこうして、向こうのホームで、トップオブトップのレースを制するまでになったのである。
ハクチカラも保田元騎手を背に同じデルマー競馬場で走ったことがあった。2戦して、どちらも6着。その後も現地の騎手とのコンビでデルマーのレースに出たが、勝つことはできなかった。
これまで何度か本稿に書いたように、保田元騎手は、「本場」のモンキー乗りを習得するため厩務員業務もするからと志願してハクチカラの遠征に同行したのであった。
今、この場で、天国の保田隆芳さんに、フォーエバーヤングの快挙を報告したい。
――保田先生、日本の人馬はここまで来ました。
ドジャースのWS連覇も、地区シリーズでフィリーズを抑えた佐々木朗希投手、リーグチャンピオンシップでMVPになった大谷翔平選手、そしてWSでMVPになった山本由伸投手がいなければなし得なかっただろう。
ニッポンの強さと、誕生日の虚しさ、そして秋天の難しさを感じた日曜日だった。