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Hの烙印と愛されたホースマン

  • 2025年12月18日(木) 12時00分
 毎週火曜日更新の「ハイセイコー物語」の第10話(先週更新分)に、ハイセイコーの股にあった「H」の烙印について書いた。

 当時調教助手だった鈴木康弘元調教師が知る限りでは、こうした烙印が内国産のサラブレッドにあったのはハイセイコーだけだったという。赤木駿介氏の著作『実録ハイセイコー物語』に掲載されている「馬体検査証」にも「左股H烙印」という記述がある。

 私が見たことのある馬の烙印は、2011年の東日本大震災に伴う原発事故で被ばくした馬が食用には適さないとわかるように捺されたものだけだ。

 伝手(つて)を頼って調べてもらったところ、第10話に記したように、日本軽種馬協会の各支部が、日高なら「H」、青森なら「A」、福島なら「F」といったように、旧2歳時に烙印を捺したという。目的は、その地域の宣伝になる、といったことだったようだ。

 詩人、劇作家、競馬コラムニストとして活躍した寺山修司は、『誰か故郷を想はざる』所収「競馬」で、ハイセイコーと同じ武田牧場(記録では創設者「武田重四郎」となっている)で生産されたキタノオーザに関して、こう記している。

<ひたいに白い流れ星があり、鹿毛で見事な美丈夫で、左の股下にHの烙印がある。Hの烙印は日高生まれの馬にしるされるもので、シンザンにもあった。いわば「栄光のマーク」である>

 しかし、日本軽種馬協会の顧問でもある伊達の高橋農場の高橋秀昌さん(二・二六事件で暗殺された高橋是清の曾孫)も、各支部でそうした烙印が捺されていることを知らなかったというから、広く、長く行われていたわけではなかったのだろう。

 さて、私が、鈴木康弘元調教師にハイセイコーについてじっくり話を聞いたのは、今回の取材が2回目だった。今もこちらが驚くほど当時のことを鮮明に記憶しており、ハイセイコーの外観についての話になると、何も見ずに、こうそらんじた。

「体高1メートル71センチ。胸囲188センチ、管囲(かんい)が21.5センチ。これは馬で測る基本なんですけどね。高さは首の付け根にあるキコウ、この出っ張りの一番高いところから垂直に測って171センチです。胸囲が188センチ、そして顔の長さが70センチって言われていたんです」

 NHKの競馬中継の解説でおなじみの、あのやわらかな口調でスラスラと話す様に圧倒されてしまった。

 鈴木元調教師と同級生の大久保洋吉元調教師に、日本初の女性オーナーブリーダー、沖崎エイについて話を聞いたときも、その記憶力に驚かされた。4歳になる年に栃木の鍋掛牧場(当時の名称は「鍋掛農場」)で行われた、エイの夫、藤七の葬儀に行ったときの様子や、牧場で一升瓶に入ったハチミツをもらったことなどをはっきりと覚えているのだ。また、日本刀の収集家でもあるため、西暦を言うと、それが明治以前であっても、パッと元号が出てくるのだ。

 お二方とも81歳である。私より20歳上だ。私には、あと20年も今の頭の回転速度を維持できる自信はない。

 キャスターの草野仁さんも81歳だ。私は、3回り上の岳父の生前は、あと36歳年をとっても大丈夫だと自分に言い聞かせていたのだが、これからは、それを「あと20歳」に切り替えることにしたい。

「ハイセイコー物語」に話は戻るが、第2話に記したように、鈴木元調教師か英国ニューマーケットの厩舎で修業をしていたとき、留学に来ていた武田牧場3代目の武田博光さんと会っていた、という縁があった。

 博光さんの息子で、武田牧場4代目の武田洋一さんが一昨年のクリスマスに46歳の若さで亡くなり、彼を偲ぶ意味でもハイセイコーの物語を残そうと思った、といったこともここに書いた。

 すると、「週刊ギャロップ」元編集長の利根川弘生さんがメールをくれて、利根川さんが1990年代の終わりに米国ケンタッキー州レキシントンに留学していたとき、武田洋一さんが現地のテイラーメイドファームで研修をしており、そのときから親しく付き合うようになっていたのだという。

「思慮が深く、優しい心を持つ、少し年の離れたかわいい弟のような存在でした」という利根川さんの言葉からも、洋一さんの人柄が伝わってくる。

 前に記したように、病気がわかってからも気丈に振る舞い、武田牧場の繁殖牝馬をすべて売却し、世話になった人たちに直接挨拶回りをしてから旅立ったという。

 洋一さんは本当に、誰からも愛される人だったのだ。洋一さんに関するいろいろな人の話を聞くと、メジロ牧場を創設した北野豊吉の三男で、20代で早世した北野忠雄さんが思い出される。あの北野豊吉が頭が上がらないほど馬に関する知識があり、聡明さを鼻にかけることなく、誰からも好かれていたという。

 いい人ほど早く逝くのは、天国がいいところだからだ。というのは伊集院静さんの受け売りだが、そう思うようにしたい。

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作家。1964年札幌生まれ。「Number」「優駿」「うまレター」ほかに寄稿。著書に『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリー『ブリーダーズ・ロマン』。「優駿」に実録小説「一代の女傑 日本初の女性オーナーブリーダー・沖崎エイ物語」を連載中。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナー写真は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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