先日小倉競馬場で、驚異的な日本レコードが生まれました。8月27日の10レース、阿蘇S、ダート1700mで、和田竜二騎手が乗ったサンライズキングがマークした1分41秒8は、昭和44年3月1日、東京競馬場のダート1700mでタケシバオーが作ったレコードを10分の1秒更新しました。
実に、37年5か月ぶりに破られたこの大記録は、これまで最も古い日本レコードで、ずっと不滅だろうと思っていました。
怪物と呼ばれ、野武士とも呼ばれたタケシバオーは、芝、ダートを問わず、1200mから3200mまでをこなし、国内で27戦16勝2着10回3着1回という成績、2年間にわたり米国ローレルのワシントンDCインターナショナルに遠征したため、菊花賞も有馬記念も出走していません。馬主の小畑正雄さんは競馬マスコミにあって元老的な立場にあり、日本の競馬の水準がどこまで来ているのか、タケシバオーなら戦ってみる資格があると信じておられ、国内のビッグタイトルを棒に振ってまで遠征を決意されたのでした。
2度とも体調を崩し大敗という残念な結果に終わってしまったのですが、現在のスプリンターズS、春の天皇賞の勝利という古馬になってからの昭和44年の無敵ぶりは忘れられません。2月から9月までの間に8連勝、4回のレコードタイムをマークと、その強さは怪物と呼ぶにふさわしいもの。その中に、ダート1700mの日本レコードもありました。
そのレース、60kgを背負って2着スイートフラッグに大差をつけたシーンは、ラジオたんぱ(現在のラジオNIKKEI)で実況を担当していました。速いという思いより、その強さが不気味に感じられ、スタンドは静まり返っていました。唖然としていたのです。
そのタケシバオーが大記録を作ったのが、武豊騎手が生まれる少し前だったのですから、破られて惜しいという思いも残りました。