吉永正人調教師が亡くなりました。昭和61年に引退した騎手時代、その衝撃的シーンに心の震えを感じたものでした。
ミスターシービーの三冠の手綱は、その集大成のようなもので、純粋な競馬ファンを生む原動力になったことでしょう。
初期の頃の吉永正人騎手と言えば、ゼンマツ、コウジョウのストレッチランが強烈でした。馬群からポツンと離れた最後方から追い込むコウジョウの姿は、今では見ることのできないプレイで、実況アナウンサーにとり競馬のダイゴ味を伝える爽快感を演出してくれました。どういう確信があってあの騎乗になるのか、いつも本人に聞いてみたいと思っていたものです。
寡黙な彼のその心を探ることは難しく、まだ東京競馬場に厩舎があった頃、それとなく話しかけたことがありました。その時静かにひと言、本当は逃げる方が好きなんだともらしたことがありました。
追い込みの吉永と呼ばれることへの、彼の騎手としての意地をみた思いで、そのひと言はずっと胸に残りました。
モンテプリンス、しばらくは無冠の帝王と呼ばれたこの馬で天皇賞を勝ってからは、その弟モンテファストでも春の天皇賞を勝ち、輝かしいスター騎手としての立場に。しかし、それでも、寡黙な人柄は変わらず、それによって多くのファンから愛され続けたと思います。
ミスターシービーは、今や伝説の名馬となりました。雨の中で行われた東京競馬場の引退式では、司会をする私の背中で、見送るファンの方々のすすり泣きの声が聞こえていました。ミスターシービーがみんなから愛されたのは、吉永正人騎手の存在があったからだと思っています。モンテプリンス、モンテファスト、ミスターシービーと、彼の騎乗した名馬たちの引退式に立ち会えたことを、今でも誇りに感じています。