毎年この時期になると、強く思うことがある。新しく騎手の仲間入りしたルーキーたちのことだ。テレビでは、デビューした彼等若者たちの初々しい表情を映し出している。その顔つきや言葉から、どんなに大きな夢を抱えているか、痛いほど伝わってくる。
また、どうしゃべったらいいのか、自分なりの話し方が出来ないままに、それでもその一生懸命さに心引かれてしまう。
人生の道のりの大分先を歩くものにとり、一人の人間としての感情は抑えられず、どうしたって、その行く先に思いをめぐらしてしまう。幸先よいスタートを切ったルーキーの勝利には、なにか清々しい喜びを覚えるし、なかなか騎乗機会に恵まれない状況には心が痛みと、レースに寄せるものがいつもと違う。
新人が30勝することは、今では難しい。JRAの最優秀新人騎手賞の受賞資格を得るものが出てくるのか、その心配をするよりも、まずどれだけレースに出られるかに思いが及ぶ。プロの道は険しいと言い切ってしまえばそれまで。だが、それだけでいいのか、そうとも考えてみたい。
どの世界でも、先達には人を育てる役割があるものだ。誰だって、誰かの導きがあって今日がある。ひとつ先を行くものは、後に続くものへどう手を差し伸べるか、度量のあるところを見せてこそなのだ。
競馬の世界にも、それがあっていいし、性急に結果ばかり追うのでなく、なんとか育てようという思いが、みんなにあってほしい。
いや、そうなっているのだが、もっとそうあってほしいと願う。
一人の若者がどう育っていくか、例え失敗がいくらあっても、ある時には運命共同体になって一緒に歩いていくような時期を楽しむことがあってもいいではないか。力のある者は、手を貸すことに心意気を示してほしいし、私どもは、そういう行為を高く評価するようになっていきたい。