あっという間に、もう師走。1年の締めくくりの最後の開催になった。ジャパンCウィークの東京のスタンド、表彰式のとき叫んでいたあのファンは、一体どんな思いで年の瀬を迎えようとしているのか。「岩田どうして勝つのかよー!」と何回もターフに向って吐き捨てていた。それに呼応して辛辣な一言が。「売られた馬なんだろうーっ」と。凄まじい剣幕に、ヒーローを迎える華やかさは消されてしまった。人心はそんなにお人好しではないな、騎乗者変更から金銭トレードと、数奇な運命を背負った勝者を心から称える寛容さは、そこになかった。
この雰囲気のスタンドに向って、どうしゃべったらいいのか。表彰式は、いつも何事もなかったの如く進められているが、実は複雑な気分にさせられるときがあるのだ。
勝者は、いつも称えられるべきだ。みんながそれを承知している。だから通常は「ありがとう、感動した」という叫び声がとび交っている。もっとも、これには時折、とってつけたようなという思いにもなるが、これも刹那の一言。声を発している人の、人の良さが出ているなと素直に受け入れている。
言葉にならない言葉、わきあがる思いがうねりとなり、どよめきとなり、歓声となって勝者を迎える、そんなシーンにつつまれるのが、大レースにはふさわしい。その主役の座につくのが大本命馬であろうと伏兵馬であろうとも、最後はスタンドがひとつになっていく、それが感動というものだ。
ただひたすらの姿を、人は見ているものだ。そう心に映るものには、ストレートに反応する。少しでも心にひっかかるものがあれば、隠さずそれを吐露するのが一般のファン心理というのだろう。
しかし、それもこれも全て人間の側からの思いだ。馬には関係ないのだ。そのことは絶対に、揺るがない。最後はそこに思いを持っていきたい。表彰式は、華やかなのが一番いい、当然なことだが。