毎年この時期にある調教師の引退、つくづく時代の変化を感じさせるときでもある。去る者は日々に疎しではあっても、その去って行かれるホースマンの残したものについてどれだけ記憶していけるだろうか。
多くの方が、日本の競馬の苦しい時代を支えてこられ、今日を切り開いてきた。
今去っていく調教師は、騎手から転身した者が多く、中には、騎手としての実績が圧倒的に優れていて、調教師引退というくくりはふさわしくないと思うことが多い。現役を引退して調教師に転身といわれ、ひとつの時代を築いた後の厩舎経営。その生活の変化に、取材をする側ですら戸惑っていたのだから、当人の思いはさぞかしだったろう。
今年は、加賀武見、増沢未夫の名騎手2人が、転身した調教師を引退した。これで完全にターフを去ったことになった。
2人とも全く時代を同じくした名騎手として後世に名を残していってほしい。一方は闘将と呼ばれ、他方は鉄人と呼ばれたが、特に加賀さんは、その果敢な騎乗ぶりで日本の競馬を変えたとまで言われた。デビューした昭和35年に58勝をマーク、この記録は昭和62年にデビューした武豊騎手によって破られるまで、新人の最多勝記録として全てのルーキーの目標だった。デビュー3年目に総合1位の座につき、5年連続7回も日本一になっている。昭和30年代から40年代は、まさに加賀時代で、西に福永洋一騎手が登場するまで天下は続いたが、最初のうちは障害にも出ていて、中山大障害優勝まで記録している。師匠の阿部正太郎調教師が本人には知らせず、障害免許を取り下げたというエピソードが残されているが、加賀さんはそれほど障害も好きだった。かつての日本騎手クラブ会長は、常日頃、馬の気持ちに乗るのであって、予めこうしようと決めたことはなかった。後輩たちには、人の気持ちに訴えるような騎乗をしてほしいとエールを送っていた。感謝の思いを心から。