世の中、気心の合う者とそうでない者とがある。好きな者同士が呼び合い、気に食わない者はできるだけ遠ざける。仕方のないことのようだが、ほうっておくと確実に世界が狭くなっていく。どうにかして、異質なものを受け入れる広い心を持てないものか。
これは、20年も前に私自身が感じ、なにかに書いたものだ。どう変化したか、少しはましになったのか。
今、目の前を駆けているサラブレッドは、人間の手を借りなくては存在しない。だから、その生い立ちを語るとき、係わってきた人間の情を無視することが出来ないのだ。
かつて、武豊騎手が、年度の代表にしなくては気がすまないと語ったスーパークリークは、生まれたときには何をやらせてもスローモーで、同期の中でも落ちこぼれの仔馬だった。ゆったり、のっそりという性格。それが大物に成長するには、扱ってきた人間の強い愛情があった。そしてもうひとつ、スーパークリークの性格、素直で面倒のみやすいというところも大きく、言うことをよく聞くスーパークリークに教える人間の方も一生懸命だった。
小さいころは素養を感じさせずとも、周囲の手のかけ方によっては大きく伸びる馬もいるということで、要は、どんなに奥手であっても、性格が素直であれば、手をかける人間の熱意次第ということのようだ。
もの言わぬサラブレッドだから、人間の方でその気持ちを察するようにしなければならず、ゆっくり見守り、ゆっくり受けとめる情が人間に求められている。つまりは広い心を持つということで、馬づくりの中から学ぶことが沢山さる。また、必ずしも素直な性格ばかりではないので、どう克服してともに歩んでいくかというコンビネーションの問題もそこにはある。受け入れる広い心を持つということは、競馬の中の、人間と馬との係わりから学ぶことが出来るのだ。