大きな声でくり返し唱えることで、不思議と心安らかになる、そんな心境に思いを馳せたことがある。菊池寛が昭和11年に著した「日本競馬讀本」の中に、現代でも立派に通用する競馬哲学を見い出したときだ。それはこうである。
「自己の研究を基礎とし人の言を聴かず、独力をもって勝馬を鑑定し、迷わずこれを買い、自信をもってレースを見る。追込線に入りて断然他馬を圧倒し、鼻頭をもって一着す。人生の快味何物かこれに如(し)かんや。しかもまた、逆に鼻頭をもって敗るるとも、馬券買いとして業(わざ)ありなり。満足そのうちにあり。ただ人気に追随し、まんぜん本命を買うがごとき、勝敗にかかわらず、競馬の妙味を知るものにあらず」と。
満足そのうちにありと腹の底から言ううちに、片腹の痛みが消滅すること請け合いだ。
競馬で暗い気持になったら、とに角、吐き出すことが肝心だが、グチの言い合いでは救われない。この哲学訓こそ、声を出して唱える価値があるというものだ。
菊池寛の格言集には、さらに追い打ちをかけるように妙薬が散りばめられている。
「馬券買いにおいて勝つこと甚だかたし。ただ、自己の無理をせざる犠牲において馬券を娯しむこと。勝たん勝たんとして、無理なる金を賭するが如き、慎しみてもなお慎しむべし。馬券買いは道楽なり、散財なり。真に金を儲けんとせば、正道の家業を励むに如かず」と。
当然と言えば当然、かくあるべきをしっかり明言して、後世の競馬ファンに残してくれている。人の言に左右されることほど、情無いことはなく、どれだけ独力をもって勝馬を鑑定できるか。満足そのうちにあり、かく腹の底から言い切れるよう覚悟し、春のクラシックシーズンを迎えようではないか。これには、少しばかりのやせ我慢が無くては成り立たない。満足そのうちにありと。