競馬は、虫のいい空想をするようなものだと思う。それと同時に、石橋をたたいて渡るような気分にもなり、最悪の時を考え、その覚悟を忘れてはいない。この心境があるから、たゆまず競馬に挑戦し続けていけるのだと思う。この虫のいい空想、なにも競馬だけに限ったものではなく、誰だって心の片隅に抱えている。ただ、競馬のそれは分かりやすいので、なにかにつけてそこに思いを持っていっているようなところがある。
分かりやすい、このあいだの桜花賞は、まさにそれだった。どれだけ虫のいい空想を試みたことだろう。挙句の果ての結果、予測できる筈はなく、競馬が途方もないところに行ってしまった。とてもとても遠いところへ。しかし、それが競馬なのだと気を取り直していける。例の虫のいい空想がそうさせるのだ。
競馬と長くつき合っていけるのは、打たれ強いからだと言うが、それも確かだ。でも、心をかき立てるのは、どうにかしてみたいという思いがあるからだろう。それが虫のいい空想だと分かっていても、やっぱりチャレンジしてみたい。そして、最悪の時がやってくる。きちんと覚悟しているから、それにこたえることはない。あるのは、楽天。楽天が生じてくるうちは、この習慣は続いていく。
だから、皐月賞への思いは、桜花賞の後だからと言って薄れることはない。よし、今度こそと突き進んでいける。
そこで、こんなことを考えてみた。
8種類ある馬券の中で、今ではすっかり人気のなくなった連勝複式、それも枠連、この価値を思い出してみたらどうだろう。とても馬番で1、2着を見つけるのが困難だと気後れしたら、複数頭数の枠でくくって考えられる枠番連勝複式なら気分は楽だ。桜花賞の枠連の7番8番なら、ゴール前は気分が途切れなかった。昔はこれでずいぶん助けられたではないか。虫のいい空想をちょっと抑えて、石橋をたたいてみてはどうだろうか。