何でもひとひねりしないと承知しない。当たり前でないことをもっともらしく言うと、わけがわからなくとも感心する。そんなことが多いとは思えないか。これは、当たり前のことを知らなすぎるために起こるとも言える。
競馬にこれを映してみると、さらにはっきりする。他人の言うことに矢鱈感心ばかりしているとき、自分がまるで思考していないことに気づく。勝ち馬検討は、そういう人の姿をはっきり浮き立たせる場だ。競うこともないのに、もつれた糸をほどく競争をしている。
それも、わざと糸をこんがらかしておいてだ。面倒だとは思えないか。
もっとも、競馬談義とはもともとそういうもので、それを楽しいレクリエーションと言うこともある。しかし、あくまでレクリエーションなのだ。
当たり前を知らずして、なにおかいわんやではないか。競馬のことだから許されているのに、世間一般の生き方の中にこれがまん延したら、世の中、心得違いやひねくれ者が増えてしまう。だから、普段は当たり前のことからまず言いたいのだ。
こういう人間だから、勝ち馬検討に理屈が先行することは少ない。好き嫌いといった情緒優先なのだ。こいつが気に入ったとなったら、とことん、どう戦ったら勝てるかに腐心する。その可能性があるかどうか、その判断が自分の勝ち馬検討の第一歩なのだ。
当然、皐月賞はマイネルチャールズだった。大半の馬を破って勝ち進んできた実績は、つまりは当たり前のこと。せめて2着に入ってくれていたら、今年の皐月賞の好感度はアップしたのにと、これは的中させられなかった繰り言。でも、そこまで来ていたのだから、キャプテントゥーレを見つけていたことを評価して、それでいいではないか。
日本ダービーが好きなのは、1番人気馬の大半が期待に応えてくれているからで、去年は珍しく駄目だった分、今年は当たり前がと。