「馬主・北島三郎4」
キタサンブラックとの出会いに北島は「深い縁があるんだ」としみじみと言った。
馬主デビューしてまもなく、所属事務所・新栄プロダクション社長・西川幸男と牧場を手掛けた。北島の「北」、西川の「西」から名付けた「北西牧場」で、当時その初代牧場長を務めていたのが、のちに
キタサンブラックを生産した
ヤナガワ牧場の梁川正克だった。
50年以上もの付き合いとなる梁川は、ずっと「お世話になった北島さんには、いつかいい馬を紹介したい」と話していたという。それが実現したのがこのブラック。
2012年。北海道の牧場巡りに出掛けた際、
ヤナガワ牧場に寄った。その時に梁川に紹介された数頭のうち1頭がブラック。初めて見た時は「やたら脚が長い馬だな」との印象。ただ、その目を見て何かひらめきを感じた。
一度、牧場を後にしたが、この目が忘れられずにすぐにUターン。その場で所有を決めたのだった。ただ、馬体も脚が長く全体的に細いきゃしゃな感じ。そのためあまり期待していなかった。
2015年1月、調教師の
清水久詞から「府中の芝1800メートルでデビューさせます」と連絡を受けた。関西馬なのになぜわざわざ東京でデビューなのか?「最後の脚がなかなかいいので。東京で使ってみようと思うのです」とのこと。
そしてデビュー戦当日、競馬場で見たブラックを見て驚いた。トレーニングを積み、馬体は見事なくらい立派になっていた。そしてレースでさらに衝撃を受けた。=敬称略=
提供:デイリースポーツ