兵庫を代表する騎手が涙を浮かべながらファンに調教師合格を報告した。
3月29日、
園田競馬場で
木村健騎手(兵庫)の調教師合格セレモニーが行われた。それに先立ちターフビジョンには兵庫出身の先輩である
小牧太騎手(
JRA)と
岩田康誠騎手(
JRA)からのメッセージビデオが流された。小牧騎手からは「タケ(木村騎手)、調教師おめでとう。なんで俺より先に調教師になるかなぁ。もっともっと乗れたのに。でも、体重が重たいのは昔から知っていたからね。今じゃ横綱みたいになってるけど。調教師になってもジョッキーの時みたいに
テッペン目指してがんばってください」とお祝いの言葉が贈られた。それをじっとビジョンで見つめた後、スーツ姿の木村騎手がウイナーズサークルに登場するとファンからは大きな拍手が送られた。ファンや関係者に騎手としてお礼の言葉を述べながら何度も涙をぬぐった。見守ったファンも涙ぐんだ。しかし最後には「園田を今まで応援してくれたみんなに恩返しできるように強い馬づくりに力を入れていきますんで、これからも園田競馬をよろしくお願いします」と新しい道での飛躍を誓った。
セレモニー終了後には
サインを求める大勢のファンが集まり20分以上にわたって
サイン会が行われた。中には木村騎手の勝負服カラーに合わせてオレンジ色の服を身に纏った女性ファンもいた。
調教師免許は4月1日付で交付されるが、開業予定などはまだ未定。
【関係者からのメッセージ】
師匠の
西川精治調教師
「長い間お疲れさんでした。これからもがんばってください」
岩田康誠騎手(メッセージビデオより)
「長年ジョッキーとしてお疲れ様でした。これからも園田競馬の調教師として何年もがんばってください。僕もがんばります。これからドバイに行ってきます」
実況の吉田勝彦アナウンサー
「(騎手引退は)残念です。岩田騎手がかつて言ったことがあります。騎手がゴールを目指して最後の追い込みにかける時の力、スタミナは600mが限界。ところが、木村騎手は800m目一杯追っても平気な顔してレースからあがってくる。そんな心臓や肺を持った男と一緒に勝負することは騎手仲間としてどんなに無念で悔しい思いをしたか、と言ったことがあります。
(
木村健騎手の)お父さんは騎手でした。大阪の春木、和歌山の紀三井寺で乗っていましたがどっちも競馬場がなくなって移籍してきました。園田に移籍してからお父さんの乗る馬はあんまりいい馬をあてがってもらえなかった。そんな無念の思いでレースからあがってくるお父さんを見ながら『僕は大きくなったら騎手になる』。そして18歳で騎手デビューした時に、『お父さんが果たせなかった夢を僕はなんとかちょっとでも果たしたい。これから騎手としてそんな思いでがんばります』、と。それから24年が経ちました。3560勝、重賞レースは中央を含めて71勝。もう次から次へとすごい記録ばっかり。そんな人が現役を退いていくということはファンのみなさんも、恐らく悔しい無念の思いかと思います。僕なんかもっとそんな風に思っています。でも、ご苦労さんでした。もう仕方がありません。今度は調教師としてがんばってください」
木村健騎手
「まずはじめに、主催者の皆様、関係者の皆様、こういう場を開いていただいてありがとうございます。騎手24年、長かったようで…長かったです(笑)。24年間こうやってがんばってこれたのも馬主さんをはじめ調教師さん、厩務員さん、みなさんの力があったからこそここまでやってくれたと思います。こんなに大勢の人に見守られて引退できることはとても幸せです。ホンマはもっと乗りたかったですけど、ここ2年、ファンの方たちを裏切るカタチで騎乗変更が多くなってご迷惑をおかけしました。すみませんでした。これからは調教師に4月1日からなりますが、園田を今まで応援してくれたみんなに恩返しできるように強い馬づくりに力を入れていきますんで、これからも園田競馬をよろしくお願いします」
(取材・文:大恵陽子)