「
日本ダービー・G1」(27日、東京)
ついに“ダービージョッキー”の称号を手に入れた。平成最後のダービー馬となったのは5番人気の
ワグネリアンだ。騎乗した
福永祐一騎手(41)=栗東・フリー=は、19度目の挑戦で初制覇を飾り、歓喜の男泣き。天才と称された元騎手の父・洋一さん(69)が7度挑戦して手にできなかったタイトルをつかみ、福永家親子2代の悲願を成就させた。
憧れ続けた情景が、みるみるうちにゆがんでいく。19度目の挑戦で、ついにつかんだダービージョッキーの称号。
ワグネリアンの背で、福永はあふれる涙を抑えられなかった。志半ばで騎手の世界を去った父・洋一さんは、78年
カンパーリの3着が最高だった。親子2代で目指した勲章を手に入れ、万感の思いとともに、出迎えた金子オーナー、友道師の胸に飛び込んだ。
「ジョッキーをやっていて良かった。初めての気分。夢にまで見たけど、これがダービーを勝ったジョッキーの景色かと。父に代わって目に焼き付けました。ようやく福永洋一の息子として誇れる仕事ができた。いい報告ができます。福永家にとっての悲願でしたから」
勝負に出た。8枠17番の外枠からの発進。「じっとしているとポジションが悪くなる。掛かる恐れがあったけど、行きました」。後方から7着に敗れ、1番人気を裏切った
皐月賞とは一転した先行策を大一番で選択。手応え十分で直線に向くと懸命に前を追った。残り50メートルで先頭へ。「最後は新人騎手みたいに無我夢中でした」。追いすがる
皐月賞馬を半馬身抑えて栄冠をつかみ取った。
「初めて緊張にのまれた。頭が真っ白になった」。20年前、デビュー2年目で挑んだ初のダービー。
皐月賞2着馬
キングヘイローで臨んだが、同馬が一度も経験していなかった“逃げ”の競馬で14着に大敗した。12年には初の1番人気で挑んだ
ワールドエースで4着。13年に
エピファネイアで2着に敗れた時には「自分の無力さを感じた」と言い、「現役のうちにはもう勝てないかも」と諦めかけた。
それでも、師匠の北橋元調教師をはじめ関係者、友人、そして家族が、「もともと強い気持ちを持っているわけじゃない」自分を応援してくれた。近々、第2子を出産予定の翠夫人も里帰りせず、身重の体で支えてくれた。レースで流す涙は師匠の管理馬
マルカコマチで制した99年京都牝馬特別以来。そこには感謝の思いが詰まっていた。
平成最後のダービージョッキーとなり、「そこは意識していました。新しい元号でもなりたいです」と笑顔で目を輝かせる。父子2代の夢をかなえた祐一は、新たなステージを目指して走り続ける。
提供:デイリースポーツ