競馬界の「二刀流ジョッキー」といえば熊沢重文をおいて他にいない。
1986年にデビュー。3年目に当時の最年少記録となるGI勝利(88年
オークス=
コスモドリーム)を果たし、91年の
有馬記念では「これはビックリ」(実況)でおなじみの
ダイユウサクで大穴Vを飾った。その一方で障害レースの騎乗も続け、2015年には史上初の平地・障害ダブル200勝を達成。平地で成功したジョッキーは障害騎手免許を返上するケースが多いが、熊沢は一貫して「二刀流」にこだわってきた。
GI制覇後は周囲から「いつまで障害に乗るの?」「早く平地一本にしたほうがいい」と言われたが、熊沢は「障害には障害の魅力があるから」と耳を貸さなかった。
「平地の馬は走ることを覚えた状態で牧場からやってくるけど、障害はイチから馬をつくり、平地以上に密接に関わらなければいけない。ゼロから積み上げていく作業が楽しいので、やめられないんです」
現在、平地793勝、障害229勝。ダブル200勝はいまだ破られぬ記録だが、「印象に残っているのは悔しいレースばかり。負けたときのほうが心に染み付き、記憶に残っている」と振り返り、一頭の馬を挙げた。
「
ステイゴールドでGIを勝ち切れなかったのが、やっぱり悔しい。もうちょっと上手に乗っていれば勝てたレースもあったから…。何より最後まで乗りたかった。人に預けることになったのはボクの至らなさです」
3歳時から主戦を務め、GI2着は実に4回(うち1回は蛯名が騎乗)。00年の
天皇賞・春4着を最後に“お役御免”となり、ラストランの
香港ヴァーズでGI初制覇。その時の鞍上は1期下の
武豊だった。
「グリーンチャンネルで見ていて…。心境は複雑でした。馬だけじゃなく、厩務員さんや助手たちとも縁があったので。正直、いい感情と悪い感情が一緒に込み上げてきました」
ちなみに、あの
ダイユウサクの
有馬記念Vの後は、東京から帰りの新幹線で缶ビールを飲み、一人でひっそり祝ったという。派手さを嫌い、愚直に淡々と仕事をこなす熊沢らしいエピソードだ。
50歳という節目の年齢を迎えたが、引き際は考えていない。
「1つ年上の林(満明)さんが引退を決めているけど、ボクは全く辞める気はない。悔しい気持ちがあるってことは、勝ちたい欲があるから。それがある限り、一日でも長くこの仕事をしていたい」
障害といえば、来月7日に平地(福島・
開成山特別)に出走する「最強障害馬」
オジュウチョウサンは競走馬にとっての二刀流への挑戦だ。「故障のリスクが心配だね」と怪物を思いやったが、その父が
ステイゴールドというのは何か縁を感じてしまう。
(童顔のオッサン野郎・江川佳孝)
東京スポーツ