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凱旋門賞・仏G1」(7日、パリロンシャン)
今年も苦杯をなめさせられる結果となった。
武豊とのコンビで日本から参戦した4番人気の
クリンチャーは、好位のインでレースを進めるも、直線で力尽き17着に沈んだ。1969年に
スピードシンボリが初めて挑んでから49年-。まだまだ悲願達成への挑戦は続く。レースを制したのは史上7頭目の連覇となった1番人気の英国馬
エネイブル。鞍上のデットーリは、自身の持つ
凱旋門賞最多勝記録を6勝とした。
やはり、世界の壁は分厚かった。最下位に沈んだフォワ賞から、奇跡の戴冠に挑んだ日本の
クリンチャーは17着に終わった。
さすがにG1未勝利馬には荷が重かったか。道中は好位の内で勝ち馬
エネイブルと並走。
フォルスストレートを抜け、直線で粘り腰を見せるかと思われたが力なく馬群に沈んでいった。「レースはプラン通り。いいポジションを取れたし、流れも悪くない。あとは慌てないように、ペースと前の動きを見ながらでしたね」と
武豊は振り返る。絶好の1番枠を引き当て、希望を持って臨んだ鞍上だが、今回も悲願達成はならず。94年の初参戦(
ホワイトマズル=6着)から7回目となるロンシャン決戦もまた、最上の結果にはつながらなかった。「7回目といっても、6勝目の人もいるのでね(笑)。いつか勝ちたいです。大きな夢なので」と前を向き、改めて意気込みを口にした。
これまでの日本馬と比べて実績に乏しく、注目度が低いことは管理する宮本師自身が誰よりも承知。しかし、虎視たんたんと一発を狙っていた。フォワ賞で惨敗を喫した夜、スタッフを集めて緊急ミーティングを行い、ハードな調教を課すという結論を出した。調教量を増やしてシェイプアップ。究極の仕上げを施し、「雨が降れば
ワンチャンスある」と言い切れるまで馬体をつくり込んだ。ただ、恵みのしずくはそれほど降らず-。運も味方しなかった。
ただし、この挑戦が無駄になることはない。師は「この場に連れて来てもらえて(前田幸治)オーナーには本当に感謝している。恩返しをしたい」と落胆をしまい込み、今回の経験を今後に生かすことを決意した。次走は
有馬記念(12月23日・中山)を予定。国内で待望のG1タイトルをもぎ取り、今回の遠征に意義があったことを証明してみせる。
提供:デイリースポーツ