マヤノトップガンが死んだことが5日、分かった。JRAが発表した。3日に、けい養先の北海道新冠町の優駿スタリオン
ステーションで老衰のため。27歳だった。
同馬は1995年1月8日に京都のダートでデビュー、その後はダート路線を歩んでいた。しかし、8戦目の6月に初めて芝のレース(900万特別・当時)で3着に入ると、次の芝のレースで1着となった。
9月に復帰すると
神戸新聞杯、
京都新聞杯と重賞で連続2着に入り、続く
菊花賞でG1を初制覇。
有馬記念では古馬を撃破してG1連勝を飾り、同年のJRA
年度代表馬、最優秀3歳牡馬を受賞した。
96年には
宝塚記念を制し、97年には
天皇賞・春で4つ目のG1タイトルを最後に現役を引退。その後は優駿スタリオン
ステーションで種牡馬として供用され、種牡馬引退後も同所でけい養されていた。
株式会社・優駿は「27歳ともなり、今年になってだんだん体にハリがなくなり、歳をとってきたように感じていました。3日の夕刻より体調を崩し、午後6時に安らかに息を引き取りました。種牡馬として重賞馬も数多く出してくれて、長く現役種牡馬として活躍してくれました。功労馬として余生を過ごし、ファンにもとても愛された馬でした」とコメントした。
現役時代に管理した坂口正大・元調教師は「日曜(3日)の夕方に立ち上がれない状況だと連絡を受けました。さみしいです」と静かに話し「厩舎に最初のG1をもたらしてくれた馬。脚元が固まらない時期があったので、最初はダートを使いました。扱いやすい馬で、調教もしやすかったです」と当時をなつかしんでいた。
提供:デイリースポーツ