フィエールマンで史上5頭目の
天皇賞・春連覇に挑む
手塚貴久調教師(55)=美浦。決戦を前に、指揮官がポツリとつぶやく。「連覇はいつ以来?
キタサンブラック(16、17年)、関東馬だったら
フェノーメノ(13、14年)か。でも、目指したいのは
ライスシャワー(93・95年)だな。自分は飯塚(好次元調教師)一門だからね」。そう、手塚師にとって、
ライスシャワーを管理した飯塚元調教師は特別な存在だった。
物語は30年近く前までさかのぼる。父・佳彦さんは、北関東の足利競馬(03年に廃止)で調教師をしており、当時の日本記録である29連勝を飾った
ドージマファイターを管理していたことでも知られる。幼い頃から競馬に近い環境で育った手塚師だが、当初は父の仕事を継ぐつもりはなかったという。「大学4年の時に就職活動して、一般企業の内定ももらっていました。確か当時はバブルの最盛期でしたね」と昔の記憶を呼び起こす。
サラリーマンの道を歩む将来に傾きつつあった貴久青年だったが、そこで伯父である飯塚好次調教師に助言を受け、人生の転機を迎える。「お父さんの仕事を悪く言うわけではないけど、やるなら華やかな舞台でやった方がいい。中央(JRA)の調教師を目指しなさい」-。その言葉を胸に一大決心をした。既に決まっていた内定を蹴り、競馬の世界に飛び込んだのだ。
西山牧場で1年間の修行を経てからトレセン入り。相川勝敏厩舎〜佐藤林次郎厩舎〜佐藤全弘厩舎で調教助手としてキャリアを積み重ね、98年に調教師免許を取得し翌99年に開業。そして現在に至るまでJRA通算522勝(4月26日時点、G1・5勝を含む重賞25勝)を挙げ、関東を代表するトレーナーの座に上り詰めた。
人生の恩人とも言える飯塚師が手がけた管理馬の出世頭が
ライスシャワーだ。92年ダービーで16番人気の低評価に猛反発して2着すると、同年の
菊花賞で
ミホノブルボンの三冠達成を阻止してG1初制覇。翌年の
天皇賞・春では
メジロマックイーンの三連覇を阻止し、2年後の同レースで劇的な復活V-。ドラマチックな名馬に「直接関わったわけではないけど、本当にいい馬だった」と思いをはせる。
自身を馬の世界に導いてくれた飯塚師は、昨年11月に86歳でこの世を去った。「(
フィエールマンの)状態に関して言えば前走の
有馬記念よりいいし、昨年勝った時よりもいい」と胸を張った手塚師。たくましくなった馬体に平成の名ステイヤーの姿を重ねながら、連覇を恩人にささげるつもりだ。(デイリースポーツ・刀根善郎)
提供:デイリースポーツ