マイネル軍団の総帥で有名な岡田繁幸氏が亡くなったことが19日、分かった。死因は不明。ちょうど71歳の誕生日だった。
実家は牧場を経営。日本大学獣医学部中退後、アメリカへ渡って馬産の修行を積んだ。帰国後の86年、
一口馬主のシステムを取り入れた「サラブレッドクラブ・ラフィアン」を立ち上げ、競馬の楽しみを広く世の中に普及。牡馬には「マイネル」、牝馬には「マイネ」の冠名を付け、多くの活躍馬をターフに送り出した。
常に「
日本ダービーを勝つのが夢」と公言していたが、86年
グランパズドリームの2着が最高で、その夢はかなわなかった。その活躍は
中央競馬にとどまらず、「
地方競馬の活性化」を目指すため、
地方競馬に外厩制度を取り入れた。その第1号となった
コスモバルク(名義は美佐子夫人)は、ホッカイドウ競馬所属のまま、JRAのビッグレースに挑戦。04年
皐月賞、
ジャパンC2着をはじめ、06年
シンガポール航空国際Cでは海外G1制覇を達成した。
数多くのセリ会場に姿を見せては、馬体のチェックに時を忘れていた。その目利きの鋭さから、“相馬眼の天才”とうたわれ、テレビ、ラジオでは独特の競馬理論を展開し、人気を集めていた。
提供:デイリースポーツ