連日の
メダルラッシュに沸いた東京五輪も無事閉幕。大会中の報道でよく耳にしたのが「流れを変える○○」「○○投入で流れが変わった」などといったフレーズ。どんなスポーツにも「流れ」はついて回る。そして人生にも流れが変わる、いや、流れを変えなければならない時がある。GIII
小倉記念(15日=小倉芝2000メートル)で
アールスターの手綱を取る
長岡禎仁も自ら動いて流れを変えたジョッキーだ。
和歌山県出身ながら、甘えを絶つために、あえて故郷から離れた美浦を選択。小島茂厩舎所属で
JRA騎手としてのスタートを切ったのだが、度重なるケガに悩まされることに。特に2017年4月の落馬事故では腎臓破裂の重傷を負い、長期休養を余儀なくされた。復帰後も乗り鞍は増えず、フリーの期間を経て19年5月に栗東に移籍。
高橋亮厩舎所属となった。
「好調な時に限ってケガをすることが多くて…。(デビュー)2年目の栗東滞在時に乗り鞍が増えた経験がありましたし、流れを変えるために思い切って栗東に移籍して、
高橋亮厩舎にお世話になりました」と長岡は当時を振り返る。
流れが変わったのは翌20年2月のGI
フェブラリーS。当時、杉山晴厩舎の管理馬だった
ケイティブレイブに騎乗した長岡は、シンガリ人気だった同馬を見事な騎乗で2着にエスコート。一躍、脚光を浴びる。そして同年8月の
小倉記念でこの
アールスターに騎乗、うれしい重賞初勝利へとつなげた。
「栗東移籍当初から杉山晴厩舎の調教を手伝わせていただいて。
アールスターにもずっとまたがらせてもらっていました」
所属厩舎は当然として、杉山晴厩舎の調教も…。タネを明かせば、杉山晴調教師がかつて在籍した牧場の後輩にあたる小島茂厩舎(当時)の調教助手から「調教だけでもいいから、長岡の面倒を見てやってほしい」と頼まれたことが始まりだったとか。このエピソードこそが彼の騎乗技術や真摯に競馬と向きあう姿勢が多くの人に評価、信頼されている証し。もがき苦しんだ末に、自ら流れを変えるために動いたことが結実したのだ。
昨年の
小倉記念を制した後の
アールスターは、結果だけを見れば停滞気味にも見えるが、その多くは敗因がハッキリしていると長岡はいう。
「前走の
七夕賞(11着)は道悪の影響で返し馬からノメってましたし、キック
バックがきつくて気が萎えた感じでした。その他もコースや展開が合わなかったりしただけで、力負けしているわけではないですからね。
もちろん、小倉の2000メートル、2コーナーで一団になって、その後もコーナーコーナーで同じようになりやすいんですよね。馬群がバラけるよりも、一団のほうが集中して走れる馬なので、そのあたりが好走できる理由だと思います」と分析。「結果だけ見れば、もうひとつといった競馬が続いているので、もう一度
アールスターの強さをアピールできるよう、しっかりとした競馬をしたいです」と連覇へ向けた意気込みを語ってくれた。
杉山晴調教師が「
アールスターとコンタクトを取り続けてくれているし、彼が乗るようになってから、ゲート難を克服してくれましたからね」と全幅の信頼を寄せている長岡が、真夏の小倉で再び強い輝きを放つことを大いに期待している。
(元広告営業マン野郎・鈴木邦宏)
東京スポーツ