「
菊花賞・G1」(24日、阪神)
さかのぼること1979年。仁川の3冠最終戦を制したのは、5番人気の
ハシハーミットだった。手綱を取ったのは24歳の
河内洋(現・調教師)。相棒の力を信じ、後続をちぎったVシーンは、自身をして「完璧に乗れた」と胸を張れるものだったという。42年ぶり2度目となる21年の阪神
菊花賞を前に、当時の激闘を振り返った。
かつて1度だけ、仁川で
菊花賞馬が誕生したことがある。京都競馬場の改修工事のため、阪神競馬場で争われた1979年の大一番。これを制したのは、デビュー6年目・
河内洋騎乗の
ハシハーミットだった。
若き鞍上にとって、初の牡馬クラシック制覇が懸かる一戦だった。「自信があった。折り合いがつくし、距離も大丈夫。春よりも力をつけていた」。5番人気ながら、ひと泡吹かせるつもりだった。
いち早く動き、残り600メートルで先頭に立ったのが1番人気
ビンゴガルー。“早いのか?これでいいのか小島太”。杉本清アナが問いかける。ファンの気持ちを代弁した名実況だった。「
皐月賞馬でダービーも3着。あっちも自信があったんちゃうかな。一瞬、ビューンって離されたけど、俺のも末脚がしっかりしていると思っていたから」。-相棒の力を信じた。
冷静にワンテンポ遅らせて動くと、最後は後続を3馬身突き放す快勝劇。「ゴールで1着になればいいだけや、と思っていたから(
皐月賞馬の仕掛けに)惑わされなかった。長距離だと付け入る隙が出る。阪神でやったのも良かったかもな。当時の京都は坂がきつく、阪神の方が平たんだった」と仁川の舞台も味方したと証言する。2着は
ハシクランツで同厩舎・同馬主のワンツー。2頭で口取りが行われた。
「完璧に乗れた」。こう胸を張る菊制覇は、自身にとって大きな転機となった。その後しばらく守りに入って、勝ち鞍が伸びない時期もあったというが、「もっとガム
シャラに乗らんと」と
スタイルを即座に修正。翌年、河内は25歳にして全国リーディングを勝ち獲った。
提供:デイリースポーツ