競馬ファンならGIでなくとも、誰もが印象に残っているレースのひとつやふたつはあるはず。そうした「記録より記憶に残るレース」を取り上げ、当時の背景とともに紹介していく。ここでは、強烈な追い込みを武器にファンを魅了した
ブロードアピールが勝利した2000年の
根岸Sを振り返る。
■“まさか”の位置からの大逆転劇
ケイワンバイキングが出走を取り消し、15頭で行われた2000年の
根岸S。当時、11月に行われていたこのレースには、現在も浦和を中心に活躍する“ミスターピンク”こと
内田利雄騎手が手綱を執り、“北関東最後の女傑”ともいわれた
ベラミロード、同年の
NHKマイルC2着馬
トーヨーデヘア、翌年の
JBCスプリントを含む交流重賞8勝を挙げた
ノボジャック、1998年の勝ち馬で、前年の
フェブラリーSで1番人気だった
ワシントンカラーなど一癖も二癖もありそうなダートの強豪馬が集結した。
そんななかで1番人気に推されたのが本稿の主役、
ブロードアピールだ。のちに
ディープインパクトや
アパパネといった牡牝3冠馬をはじめ、数々のGIタイトルを奪取する金子真人オーナーの所有馬で、同年の
シルクロードSを制してはいたものの、その極端な脚質もあってか、格上挑戦した
京都牝馬Sで3着、
阪急杯、
スワンS、
富士Sでそれぞれ2着と、重賞で取りこぼすシーンも少なくなかった。
当時はまだ重賞1勝馬に過ぎなかったうえに、ダート戦の経験も未知数な部分が多く、下級条件とオープンでそれぞれ勝っていたものの、後者の勝利は脚抜きの良い重馬場でマークしたもの。2走前に
スプリンターズS4着があることからも、一般的なファンの認識は“芝の短距離馬”といっても差し支えなかったろう。
とはいえ、メンバーを見渡してもここでの力上位は明らかで単勝オッズは2.8倍。すでに
シルクロードSを制して芝の重賞馬となっていた
ブロードアピールがダート重賞も制し、両カテゴリーで重賞を勝つことができるのか。ファンの注目はその1点に注がれていた。
レースは大外枠からハナを主張してきた
ベラミロードに対し、内から先手を譲らない
エイシンサンルイス、さらに地方・名古屋の
ゴールデンチェリーが絡み、1000mのタイムは57秒9という、当時の東京ダート1200mでは滅多にお目にかかることができない殺人的なハイペース。
一方の
ブロードアピールは、例によってゲートを出たなりで後方に控えるのが定番とはいえ、ポジションは最後方。前で3頭が激しく競り合い、先行馬もやり合う3頭を追いかける格好で、
ブロードアピールにはおあつらえ向きの展開になったが、直線だけで逆転するには無謀な位置取りにも映った。
その位置から本当に届くのか―――。多くのファンの視線が最後方の黒鹿毛に注がれるなか、あたかも芝でのレースであるかのように、大外から1頭だけ次元の違う末脚を繰り出し、1完歩ごとにグングン差を詰める
ブロードアピール。気付けば2着に粘った
エイシンサンルイスに1馬身1/4差をつけて、芝・ダート両カテゴリーでの重賞制覇を達成していた。
逃げた
エイシンサンルイスの上がり3ハロンが36秒2だったのに対し、
ブロードアピールのそれは34秒3。レースの上がり(36秒0)を2秒近く上回っていたうえ、次点の上がり3ハロンも同じく最後方から追い上げた
トーヨーデヘアが記録した35秒5。この2位の上がりタイムよりも1秒以上上回っていたことからも、いかにこの時マークした上がりが驚異的なものだったか、容易に想像できるだろう。
この勝利がターニングポイントとなり、その後、ダートをメインの主戦場に据え、交流重賞の
かきつばた記念、
プロキオンS、
シリウスS、
ガーネットSとダート重賞を4勝。最終的にはGIタイトルには手が届かなかったものの、もともと芝レースで垣間見せていたポテンシャルをダートで昇華させた転機として、
ブロードアピールを語る上では外せないレースとなっている。