春は旅立ちの季節だ。2月末、東西7人の調教師が引退する。3月に開業する
蛯名正義調教師(52)=美浦=が“恩師”である藤沢和師に感謝の思いを伝えた。
蛯名正師にとって、藤沢和師は恩人でもあり、師匠でもあった。最も印象に残っていると話すのが96年の
天皇賞・秋。
バブルガムフェローをVへ導き、初めてG1ジョッキーの称号を手にした時だった。「自分が
ステップアップするのに大きなきっかけとなった馬。G1で勝てないというプレッシャーが自分の中にあったので、自信がつきました」と振り返る。
主戦の岡部幸雄が、
タイキブリザードの北米遠征に同行するため回ってきた手綱だった。当時、蛯名はデビュー10年目。既に堅実な乗り手として名は売れていたものの、G1タイトルとは無縁だった。しかし、藤沢和師は自信たっぷりにバトンを渡す。
3歳馬が盾を狙うなど考えられなかった時代だが、指揮官には十分な勝算があった。“受けて立つ競馬で、自信を持って乗っていいからな”-名伯楽から掛けられた言葉通りに騎乗した27歳は、自らの殻も破ってみせた。そして名実ともにトップジョッキーの仲間入りを果たした蛯名はその後、数多くの名シーンをファンの目に焼き付けていく。
JRA・G1で26勝を挙げた名手が調教師を志した時に、真っ先に頭に浮かんだのが藤沢和師の姿だった。18年に門を叩くと、21年に調教師試験に合格した後も修行を続けた。「とても有意義な時間でした。やはり先生は本当のホースマンです。人間は楽をしたいと思うけど、それをしないでここまで来るという
モチベーションの維持がすごい」。ストイックな仕事ぶりに刺激を受けてきた。
「調教とか手入れとか、小さなことの積み重ねが大事なんだろうなと」。恩師の教えを胸に、新たな一歩を踏み出していく。
提供:デイリースポーツ