初代の
佐賀競馬場は、現在地よりも20kmほど西、佐賀駅から歩いて15分ほどの場所にありました。
しかしその場所に競馬場の名残はありません。第2コーナー跡地付近にある「西神野運動広場」でゲートボールをしている人に話を聞くと「確かにここは競馬場でしたよ」と教えてくれました。
当時の様子を航空写真で見ると、田んぼのなかに南北に長い楕円形がクッキリ。スタンドはコースの西側に作られていました。
しかし時代が進むにつれて、その周辺は住宅地に変化。そのため移転計画が持ち上がり、1972(昭和47)年に現在の場所に移ることになりました。
それから今年で50年。その間には、いろいろなことがあったと思います。
☆移転当初は大繁盛!
佐賀競馬の馬券発売額は近年になって大幅に増えていますが、電話やネット投票がなかった時代の最高記録は、1991年のおよそ359億円。そのころは競馬場の正門の右側に広がる食堂街がすべて店を開けていて、全部の店が大繁盛。食堂街の手前にある簡易店舗には6つの店があったそうです。
かつてはスタンド3階の特別観覧席にも食堂が5か所。それだけたくさんのファンが来場していたということでしょう。
現在、食堂街で営業しているのは数店舗。そのなかで「二千両」「おおつか」「とりぜん」「はがくれ」「のだ屋」は、1972年のオープン当初から営業を続けているお店です。
佐賀競馬場の移転50年は、この5店舗にとっても創業50年となります。
☆JRAとのコラボを実現した競馬場!
佐賀競馬場の4コーナー方面には、かつて「ウインズ佐賀」がありました。
発売するレースは限定されていましたが、
JRAのビッグレースがある日には広大な駐車場が、福岡ナンバーや久留米ナンバーなどのクルマで埋め尽くされました。
このような形で競馬場の敷地内に
JRA専用の発売所が作られたのは
佐賀競馬場だけ。やがてその施設は「ウインズ」から「J-PLACE」に名前が変わり、場所もスタンドの1階に移動。かつてのウインズの建物は撤去されて、現在は更地になっています。
☆暗黒の時代を耐え抜いたホースマンたち!
地方競馬の馬券発売額は、1991年頃を頂点に徐々に減少。
佐賀競馬場もその傾向どおり、徐々に減ってきました。年末に行われる
グランプリ・
中島記念の1着賞金は、2001年の600万円が
ピーク。2011年から15年までは230万円でした。
そのころの最下級の1着賞金は10万円。出走手当も極限まで削られたことで、馬主さんにとっても厳しい時代が続きました。
かつては中津競馬(大分県)、荒尾競馬(熊本県)と「九州競馬」と銘打って連携していましたが、2001年3月に中津競馬が打ち切られ、2011年12月には荒尾競馬が廃止。そういう苦しい時期でも、佐賀のホースマンたちは競馬を続けたいと願って仕事を続けてきました。その結果、苦労は報われることに。近年の馬券発売額は見事に「V字回復」を描き、そしてさらなる上昇が続いています。
☆「ほとめきナイター」がスタート!
佐賀競馬場にはもともと照明施設がありましたが、それは深夜12時頃から始まる調教のために必要な最低限の明るさでした。その設備を一新して、ナイター開催ができる大きな照明施設が2018年に完成。2020年10月からは「ほとめきナイター」という名称で、本格的に夜の開催がスタートしました。こういう設備投資が実現できたのも、佐賀競馬の売り上げが復活したおかげです。
☆世代交代がスタート!?
佐賀競馬場は長らく「
鮫島克也」「
山口勲」「
真島正徳」の3人の騎手を中心に、リーディング上位が形成されていました。しかし2021年に鮫島騎手と真島騎手が引退して調教師に転身。その年、一気の台頭を見せたのが
飛田愛斗(ひだ・まなと)騎手でした。2020年10月にデビューした新人騎手は、翌年の6月27日に通算100勝達成を、
地方競馬における最速記録で達成。さらに年末は最初で最後の参加となる「ヤングジョッキーズシリーズ」で総合優勝を果たしました。そして今年は2名の新人騎手がデビューします。
はたして
山口勲騎手は
佐賀競馬場の移転50周年となる今年、2006年から続けてきた佐賀リーディングを守ることができるのでしょうか。注目が集まる1年になりそうです。
現在の
佐賀競馬場は1972年7月1日にオープン。佐賀競馬の公式ホームページにある「
佐賀競馬場移転開設50周年記念サイト」には、これからも多彩な
コンテンツがアップされていきます。ネット上での応援とともに、近くのかたも遠くのかたも、ぜひ競馬場で50年の節目を祝っていただれば幸いです!
(文:浅野靖典)
佐賀競馬場移転開設50周年記念サイト(外部リンク)
https://www.sagakeiba-50thanniv.net/