令和の世に性別でものを言うのははばかられるかもしれませんが、昔の生産牧場では男の子が生まれると「未来のダービー馬だ!」と大喜びしたものだと、今はもう引退された調教師さんからお聞きしたことがあります。
ヒサトモ(1937年)、クリフジ(1943年)、
ウオッカ(2007年)とダービーを優勝した牝馬もいるけれど、長い長い歴史の中でこの3頭のみ。ダービー馬の称号は競馬に関わる全てのホースマンが一生をかけて追い求める最大の栄誉と言われているのですから、生産牧場の方々が仔馬を取り上げたときに、まずその願いを口にすることはごくごく自然なことだったのではないかと想像します。それが果てしない夢だと分かっているから。
騎手や調教師さん、トレセンの従業員さんにとってもそれは同じ。まず「ダービーを目指せる馬」に出会うことこそが奇跡のようなものなのだと、わずか数年の記者生活でも実感しています。
トランセンド、
カレンチャン、
ロードカナロアといった歴史に残るGI馬を手掛けた安田隆調教師ですら、ダービーには「調教師としては挑戦すらできたことがない」のですから…。
「騎手として
トウカイテイオー(1991年)でダービーを勝たせてもらって、調教師としてもダービーを勝つことはずっと夢でした。でも、数々のご縁をいただきながら、まだそれが果たせていません。この馬でそれをかなえられたら…」
安田隆調教師が昨春、大きな期待をかけていたのが
ホープフルSの覇者
ダノンザキッドです。彼が東京スポーツ杯2歳Sで見せた脚が異次元だったこともあり、その夢は目前に迫っているようにも見えました。
ですが、レースの1週間前に右橈骨粗面剥離骨折が発覚。ダービーを回避することになってしまったのです。仕方のないこととはいえ、陣営の無念は計り知れないものだったと思います。記者としても競走馬が「順調にレースまで向かうこと」がいかに難しいかを改めて思い知った出来事でした。
あれから1年。「やっぱりダービーは悲願です。またそこを目指していけることをうれしく思います」と安田隆調教師の言葉を弾ませてくれる存在が
皐月賞に挑戦する
デシエルトです。
新馬戦の前に取材をさせていただいた際、ダートでデビューする理由を「現状はまだ切れが足りないのですが、どうしても勝たせなければならない馬。なのでデビューはダートにして、ゆくゆくは芝で勝てる馬に成長させてあげたい」と教えてくださいました。
その宣言通り、デビュー戦を7馬身差で圧勝した
デシエルトは、1勝クラスでダート戦連勝を決めた後、満を持して
皐月賞トライアル・
若葉Sへ向かい、影をも踏まさぬ3馬身差の快勝劇を見せてくれたのです。それでもレース後に岩田康騎手は「まだまだ走りが雑なところがある」とおっしゃっていたし、安田隆調教師も「“まだ子供だなあ”という感じですね。走ることに集中しきれていないと思います」と依然、成長途上であることを強調します。
「
若葉Sは一頭で淡々と流れるようなリズムで運べたことが味方しました。今回も同じことをさせてもらえるかといえば、決してそうではないと思うし、簡単ではありません」と
皐月賞(17日=中山芝内2000メートル)へ向けてのコメントも慎重。それでも…。「簡単ではなくても“この馬でダービーを取る”。そう決意してやっています」と最後には力強く言い切ってくださいました。それは決して夢物語を語っているわけではなく、
デシエルトに相当な奥があることを感じているからこそなのです。
全てのホースマンはダービーを目指す――。引退まであと2年。競馬界の第一線を走り続けてきた安田隆調教師の悲願が、どうか達成できますように。競馬ファンの一人として、そう願わずにはいられません。
(栗東の転トレ記者・赤城真理子)
東京スポーツ