「華麗なる一族」とは輸入牝馬
マイリーを始祖とする牝系に付けられた異名。山崎豊子の小説から借用したものだが、この一族はあふれるスピードを持つと同時に、どこか破滅的な危うさも秘めていた。それが「華麗なる」の形容にふさわしく、一族の華やかさをいっそう引き立てた。
スプリンターズSは91年当時、
有馬記念の1週前となる暮れの開催だった。この年は12月15日。1番人気は4月デビューの3歳馬
ケイエスミラクル。デビュー8カ月ながら、2走前に
スワンS勝利、前走は距離が長いと思われた
マイルCSで3着に好走。ベスト距離で巻き返しを期待されていた。2番人気が「華麗なる一族」の本流(イットー〜
ハギノトップレディ)を引き継ぐ
ダイイチルビー。古馬になったこの年、才能が完全に開花。1月から8戦3勝、重賞3勝。ただ前走の
マイルCSでは1番人気に推されながら出遅れて2着。
ダイタクヘリオスのG1初戴冠を許した。隙なしに見えてもどこか危うい。それは名手・
河内洋をもってしてもそうだった。
「とにかくスタートだけはね」と河内。
ダイイチルビーはゲートに入るときょろきょろしたり、後ろにもたれたり…とどうも落ち着かない。早く走りたいと気がせくタイプだった。
マイルCSはそれが悪い形で出てしまったが、この
スプリンターズSでは五分のスタート。河内も「あれでホッとした」と最大の関門をクリア。「枠順も(後入れの)偶数で、外寄り(12番)なのも良かったね」。
あとは名手の思うがまま。「ゴチャつくのが嫌だから一度下げて外めに出した」と追走ポジションを決め、4コーナーでは「
ケイエスミラクルがいい感じで上がっていたのは分かっていた。あの馬が怖かったし、外を回すのではなく馬群の中に入れて運んだ」。電撃6ハロンと言われる距離でも、決断の場面は少なくない。「イメージ通りのレースができた」と、その全てに正解を出し、
ダイイチルビーを
安田記念以来、2つ目のG1優勝に導いた。
この優勝で
ダイイチルビーは4億2571万1600円を稼ぎ当時の賞金女王となった。華麗なる一族、栄達の時だった。
栄達の陰に、悲劇があった。ゴール前300メートル、勢いよく伸びていた
ケイエスミラクルが急失速。左第一趾骨粉砕骨折で予後不良(安楽死)。当時を知る人は「立ってはいたけど、一目見てだめだと分かった」と。外国産馬
ケイエスミラクルは前年の秋に来日。千葉県の牧場に入厩したあと高熱が続き、一時は獣医師が関係者に「覚悟してください」と伝えたほど悪化。そこから奇跡的に回復し、遅れたデビューからの快進撃だったが、悲運のアク
シデントに見舞われて短いキャリアを終えることになった。
スポニチ