1993年の
天皇賞・秋の出走馬でG1馬は2頭だけ。豪華とは言いづらいメンバーだったが、各
ジャンルからこれほど個性派を集められたG1もそうない。ステイヤーの
ライスシャワー、マイラーの
ヤマニンゼファー、逃げの
ツインターボ、G1で5戦連続掲示板確保の
ナイスネイチャ、古豪
ホワイトストーン…。そして実際のレースも、30年近く経ってなお、ベストバウトの一つに数えられる。手に汗を握る一騎打ちを演じたのは
ヤマニンゼファーと
セキテイリュウオーだった。
逃げた
ツインターボが4コーナーで早々と、先行した
ヤマニンゼファーにつかまる。ゼ
ファーがあっさり単独で抜け出した。先行集団で競馬を運んだ他馬は、1番人気
ライスシャワーが距離不足で伸びあぐね、
ナイスネイチャは蹄鉄がねじれるアク
シデントで急失速、
ロンシャンボーイは脚が続かず後退。ゼ
ファーの独走にはさせないとばかり、ただ1頭、中団から押し上げてきたのが
セキテイリュウオーだ。
抜け出しが早すぎて目標のなかったゼ
ファーは外から伸びてきた
セキテイリュウオーに向けて馬体を寄せる。斜めに走るロスのぶん、
リュウオーが先んじる。ただし馬体が併せられると、ゼ
ファーが食い下がって差し返す。今度は内ラチに寄っていったゼ
ファーに向けて
リュウオーが馬体を併せに行く。壮絶な叩き合いとなった。2頭は文字通り鼻面を並べたままゴール。
長い写真判定の末、鼻差の勝者は
ヤマニンゼファー。鞍上の柴田善は「春の
安田記念(1着)が同じパターン。あの時も、4コーナーからいい脚を使った。それを信じて先頭に立った」と振り返った。
ゼ
ファーが
安田記念を連覇して迎えた秋初戦、初の1800メートル出走となった
毎日王冠では6着に終わった。
父ニホンピロウイナーの血統的に、さらに距離が延びて2000メートルとなる
天皇賞・秋は「厳しい」という見方が支配的。実際、5番人気で単勝11.7倍の評価だったが、「流れに乗りさえすれば、距離は大丈夫だと思っていた」と柴田善は事もなげ。ただレースに先立つ10月5日、
ヤマニンの前オーナーである土井宏二氏が80歳で亡くなったばかりで、その話題の際には「天から見守られていたような感じでした」と感慨深げに語っていた。
マイルで十分な実績を積みながら、2000メートルの
天皇賞・秋に挑んだことについて栗田博憲調教師は「去年、今年と
安田記念を勝ってくれた。天皇賞を勝てば、この馬の価値はさらに高まる。未知の距離に挑戦すべきだと考えた」と思いを語った。レース後「試みて良かった。馬が良く応えてくれて、苦労もいっぺんに吹っ飛んだ」と相好を崩した。この年の8年前、
安田記念を制して
天皇賞・秋に挑んだ
ニホンピロウイナーは3着同着(勝ち馬
ギャロップダイナ)に終わった。ゼ
ファーは父の無念をも晴らした。
2着
セキテイリュウオー鞍上の
田中勝春はレース後、人目をはばからず涙を流した。コメントを出したのは最終レースが終わってしばらくしてから。落ち着いた声で「
セキテイリュウオーは最高の走りをしてくれたが…。残念。最後はG1を2勝している馬の底力にやられた」と愛馬と共に、かつてコンビを組んでG1(92年
安田記念)を制した勝者を称えた。
スポニチ