1997年の
帝王賞や1998年の
東京記念などに優勝し、90年代後半の南関東競馬で活躍した
コンサートボーイが11月8日、死亡したことがわかった。30歳だった。9日に
ジャパンスタッドブッ
クインターナショナルのホームページ、並びに大井競馬のリリースで発表された。
【
的場文男騎手のコメント】
「根性があった馬でよく走ってくれました。
アブクマポーロや
バトルラインを抑えて優勝した
帝王賞は思い出深いです。お世話になりました。思い出の1頭です」(大井競馬のリリースより)
コンサートボーイは
父カコイーシーズ、
母コンサートダイナ、母の
父ハンターコムという血統。
1994年に旭川競馬場でデビューし、同年の冬に南関東競馬へ移籍。翌1995年の
京浜盃、
黒潮盃、
羽田盃、
東京ダービーでいずれも2着に好走し、古馬入り後の1996年2月から重賞を3連勝。同年11月の
東京記念、12月の
東京大賞典で2着となった。
1997年5月の
かしわ記念(※当時は交流GIII)では中央所属の強豪馬
バトルラインから5馬身半差後方の3着で入線。巻き返しを期して迎えた6月の
帝王賞では、
バトルラインおよび南関東競馬で伝説的な成績を残す
アブクマポーロと対決。レースでは3番手の位置から
バトルラインを4コーナーで交わし去ると、驚異的な追い上げを見せた
アブクマポーロを振り切ってタイトルを獲得した。
この時点で
地方競馬の総収得賞金が4億2575万円となり、当時の地方所属馬における歴代賞金1位となった。その後は脚部不安により10ヶ月の戦線離脱を余儀なくされ、復帰後は南関東二冠馬
サプライズパワーとの激戦を制して1998年の
東京記念を制覇、同年の
東京大賞典で
アブクマポーロ、
メイセイオペラに次ぐ3着入線を果たし、2000年1月31日、6年半の競走生活に終止符を打った。
現役引退後は種牡馬となり、種牡馬引退後は生まれ故郷である船越牧場の功労馬として余生を送っていた。
(
ジャパンスタッドブッ
クインターナショナルのホームページ並びに大井競馬のリリースによる)